阿波学会研究紀要

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徳島県郷土研究論文集第二集  
徳島市新町川流域におけるウキコの生殖群泳とその受精生理 徳島生物学会 岡田克弘
徳島市新町川流域におけるウキコの生殖群泳とその受精生理

徳島生物学会 岡田克弘

 

まえがき

 動物分類上の位置が、環形動物門、毛足綱、多毛目、ゴカイ科に属する下等動物にイトメと名付けられるムシ(蠕虫)がある。汽水域の川底の泥中で有機腐蝕物をたべて棲息する。この虫は魚釣りの餌虫として利用され徳島の方言ではサラダと呼ばれる。

イトメは毎年きまつて秋の終頃に成熟する。成熟したイトメは体の前半に雌では黄縁乃至は青緑色の卵を、雄は白色の精子を充満して肥大するが、いずれも後半は細くやせて退化する。(第1図)。そして大潮どきの夕刻満潮をすぎた頃に、生殖物を充満した体の前半だけが、退化しつゝある体の後半から切れて水中に浮いてでる。このようにして、成熟体は無数に水中で泳ぎまわりつゝ、卵又は精子を放出したのちに死んでゆく。このような現象を生物学者のあいだでは生殖群泳と呼ぶのであるが、この際に放出された卵と精子は水中で体外受精をすることによつて、あたらしい世代のイトメに発生する。本年生まれたイトメは来年の秋には同様に成熟して生殖をいとなみ、そして死んでゆく。このイトメ生殖型個体のことを徳島地方の方言では「ウキコ」と呼ぶ。全国的に通用する呼び名は、実は「バチ」又は「日本パロロ」という。

 ウキコは魚釣りの餌以外には実用価値の知られていない下等動物であるためか、その生殖群泳も釣師以外の人々にはほとんど関心が持たれていない。しかし、生物学者の間では、ウキコは生物学上の世界的に有名な、そして日本特産のめずらしい動物として取扱われている。ウキコの顕著な生殖群泳は暦をめくるように毎年規則正しく起る。このことは、ウキコの群泳現象が、生物の生殖原理と月令週期性の因果関係を究明するために、最も適した研究対象となるためであろう。また、群泳に際して放出された卵と精子は下げ潮に流されつゝ体外受精がなしとげられる。即ち、海水と淡水が複雑に入りくむ環境條件のきびしい変化のもとで受精の現象が進行する。このことは、ウキコの卵と精子が、生物の受精生理を究明するために得がたい貴重な研究材料となることを意味する。

 ウキコに関する從来の文献を調べて見ると、飯塚啓氏が東京帝大助教授時代に(1903年)隅田川での群泳現象の生態的観察を始めて報告した。それ以来、ウキコのことが、日本パロロという呼び名とゝもに、その生殖群泳が世界的に知られるようになつた。また、生沼曹大氏が岡山医科大学教授時代に(1926年)岡山の笹ヶ瀬川の日本パロロについて、三好普氏が水戸高等学校教授時代に(1937年)茨城縣の涸沼の日本パロロについて、さらにまた、山本時男氏(名古屋大学教授)は1947年及び1952年に、岡田要氏(東京大学教授)は1950年に、いずれも隅田川の日本パロロについて興味深い研究成果を報じている。

 このように生物学の研究にきわめて貴重な日本パロロ即ちウキコが、実は当地方の吉野川下流域にはめずらしくない。板野郡の牛屋島、老門、広島地方を中心とする旧吉野川流域、或は徳島市を貫流する新町川の川すじ(助任川、田宮川、佐古川など)の川底にウキコは豊富に棲息する。したがつて、これらの流域では、年中行事のように毎年見事な生殖群泳がくりかえされる。1951年以来、筆者及び徳島生物学会の会員のなかに、新町川のウキコを材料として、その生殖群泳と受精生理に関する生物学的な研究がすゝめられ、今日すでに幾多の研究成果がみられる。こゝにその主なものを要約して紹介する。

 

生殖群泳についての研究業績

(1)岡田 克弘(1952)「日本パロロの生殖群泳について」 

 実驗生物学報 第2巻 第2号

 1951年及び1952年の生殖群泳現場での生態的調査が徳島大学学芸学部生物学教室の学生諸氏によつて行なわれ、その調査資料をまとめたものがこの報告である。徳島地方での生殖群泳は、旧暦10月及び11月の新月大潮どきの数日間にわたり夕刻満潮をすぎた一定時刻に必らず大群泳がみられる。また、旧暦10月11月の満月大潮どき及び旧暦12月の新月並に満月大潮どきなどにも小規模の群泳が見られることがある。月令週期性の要因はいろいろ考えられるけれども、この調査資料では、潮汐と関連した時刻的要因、つまり「潮の高さ」が最も直接に影響していると思われる。

(2)三木 寿二(1952. '52) 「ウキコの走光性について」

 徳島生物学会例会発表

 この研究は徳島生物学会の例会では2回にわたり発表された。その内容は、ウキコが光に集る反応を実驗したもので、ウキコの明暗に対する適合照度と色覚の有無とを取扱つている。

(3)香川 義信(1954) 「イトメの生殖型形成過程の組織学的観察」

 徳島大学学芸紀要(自然科学) 第4巻

 イトメが成熟するには、その生殖型であるウキコへの変態が起る。この変態の過程を追せきした研究である。変態は生殖群泳のかなりまぎわになつておこる。変態中のイトメは棲管内で攝食を絶ち、栄養器官の退化と生殖細胞の前方体部への移動は平行する。変態完了後はホリバチ或はヤバチと呼ぶ特有の体形(第1図)になつて泥の表層近くに靜止し、群泳の直接刺戟をまつ状態となる。全体節数の凡そ3分の1にあたる前方体節のみに生殖物を充満して肥大し、残る3分の2にあたる後方体節は退化して群泳の際は泥中に棄却される。なお、群泳に際して棄却された後方の体節は営養器官の退化の程度から考えて、そのまゝ泥の中で死滅すると推定される。

 

受精生理に関する研究業績

 受精の生態的調査

(4)矢野 明・大越 儀弌(1953) 「新町川におけるウキコの幼生プランクトンについて」 徳島生物学会例会発表

 徳島生物学会例会での発表によれば、ウキコ生殖群泳後の数日を経過してから、新町川を上流、中流、下流の3区にわけてプランクトンの調査をし、ウキコ幼生は塩分濃度の変化の最もはげしい中流区域に多いことを知つた。したがつて、自然状態における受精は、このきびしい條件変化の環境下でなしとげられることが推定される。

(5)桂 茂・市原 基敬(1952) 「ウキコ精子の生体染色について」

 実驗生物学報 第2巻 第2号

 ウキコ精子を数種の生体染料で染色し、受精における精子の行動の追せきを試みようとした予報的資料が述べてある。

(6)岡田 克弘(1951) 「カルシウム欠除人工海水による卵細胞の賦活」

 徳島大学学芸紀要 第2巻

 ウキコ卵の人工受精はなかなかに困難である。おそらく卵表層が媒貭の條件にはなはだ敏感なためであろうと考えて、あらかじめ卵をカルシウム欠除人工海水で前処理し、適当に卵表層を刺戟してから正常海水中で助精すると、受精率がいちぢるしく向上することを知つた。

(7)野崎 博・上田 英雄(1952) 「塩分濃度の受精と初期発生に及ぼす影響について」 実驗生物学報 第2巻 第2号

 ウキコの卵は25%海水とほゞ等調であるけれども、卵と等調の受精媒貭では受精は成功しない。はるかに高調液である100%海水を媒貭とすることによつてはじめて受精が成功することを報じている。

(8)香川 義信(1952) 「バチ体腔卵の処理海水塩分変化の受精におよぼす影響」 実驗生物学報 第2巻 第2号

 バチ体腔卵を等調液中で助精したのでは受精は成功しない。高調域での受精を必要とするけれども、その塩分度は必らずしも100%海水を必要としない。50%以上の海水で低調から高調へうつした際に助精を行うと受精率が向上する。おそらく卵表層が高調液で付活され、その過程が進行中が有効なのであろう。75%海水附近で卵が低調からより高調状態へうつされた直後に受精率は最も高い。このことはウキコの卵が自然状態においてさらされるであろう環境條件と生態的にもよく一致する。

(9)川原 春幸・原 博子・藤井 英志・山田 靜夫(1952)

 「尿素その他の化学薬品によるパロロ卵の人工単為生殖について」 実驗生物学報 第2巻 第2号

 尿素、エタノール、メタノールなどで卵を処理し、ジエリー層の出現状態から観察して、ウキコの卵もウニ卵の場合と同様にこれらの薬品によつて、単爲生殖が可能であろうと報じている。

10)高島 律三・川原 春幸(1952) 「日本のパロロの卵jellyについて」

 実驗生物学報 第2巻 第2号

 卵ジエリーの出現要因やジエリーと受精の相互関係を究明しようとする実驗であるが、助精前のジエリーの出現状況と受精率との間には見るべき因果関係が証明出来ないことをのべている。また、ジエリーの出現は、一定値以上(海水比重12.01以上)の塩分高調、温度の上昇、及び太陽光線の増加でいちじるしく促進されるけれども一定価以下の塩分度はジエリーの出現を強く抑制すると報じている。

11)富永 敏衛(1953) 「ウキコの卵ジエリー層について」

 鳴門市教育研究所報 第3巻

 この実驗はウキコの卵ジエリー層について、生体染色法と位相差顕微鏡観察をおこなつて、その基礎構造を究明したものである。はじめに100%、75%、50%、25%海水及び蒸溜水中に体腔卵を処理し、卵ジエリー層形成の様相を比較した。その結果、75%海水においてジエリー層の厚径は最大に達する。つぎに、これらの処理液中に生じたジエリー層をヤヌス緑で染色した。その結果、ジエリー層の基礎構造にはなはだ興味深い差異がみとめられ、しかも、100%海水と75%海水中のジエリー層の基礎構造がほゞ類似していることが明らかにされた。ウキコ卵の人工受精が100〜75%海水中で可能なことゝ思いあわせると、卵ジエリーの基礎構造と卵細胞の受精能との間に密接な連関性の存在が暗示される。

12)岡田 克弘(1953) 「ウキコ卵ジエリー層の微細構造について」

 名古屋大学臨海実驗所での実驗発生学会談話会で発表 目下印刷中

 

結 語

 以上が徳島生物学会々員によつて今日までに示されたところの、新町川ウキコを対象とする研究実績のおもなものである。これらの実績を通覧すると、新町川のウキコについての問題は解決されたというのではなく、むしろ、あたらしく問題が提起されたという感が深い。たとえば、新町川におけるウキコの生殖群泳を誘発する要因は、「潮の高さ」がもつとも直接的な主要因のように思われるけれども、実は、光の要因、温度の要因その他いろいろの複雑な要因の存在することも推察される。かりに、「潮の高さ」を主要因としても、その内容はいまだ深く解柝されていない。はたして、「潮の高さ」そのものからくる水圧の條件か或は「潮の高さ」を介して持ちこまれる塩分濃度の影響か、その決定は将来の精密な実驗をまつて、はじめて結論づけられよう。しかも、このような下等動物の生殖群泳と月令週期との因果の究明が結局は高等動物における性週期の本性にもつながることに思いいたせば、ウキコの生殖群泳に関する問題の解決は、未だ氷山の一角にも達していない現状であろう。

 受精生理についてもまた同様である。ウキコの未受精卵と受精卵を比較対照すると(第2図)、受精に伴う卵細胞の変化には今日まで知られたところで少くとも次の6の過程が密に連鎖する。即ち、(1)ジエリー層の形成、(2)卵細胞表層の変化、(3)受精膜の形成、(4)未成熟卵核の崩壊、(5)卵細胞貭の分極(卵黄油滴の離合集散をもふくむ)、(6)極体の形成である。これら連鎖過程の因果関係の究明は、受精の原理を把握するためには単に一つの端緒となるにすぎないけれども、その因果の究明だけを考えてみても、問題はいまだどれだけも解決されていない。

 勿論、徳島生物学会のこれらの研究は現在ひきつゞき活発に進行中である。遠からずして数々の研究成果がますます追加されることであろうが、それらの成果はさらに将来の研究へ問題を進展させるものであろうと期待される。新町川のウキコは、このようにして生物学の研究には永遠に身を挺して貢献してくれることであろう。

 (徳島大学学芸学部生物学教室 徳島大学教授)



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