阿波学会研究紀要

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第三回郷土研究発表会  
阿部で発見した藩末収益分配造林の成果 阿波郷土会 横山春茂
〔研究テーマ〕  阿部で発見した藩末収益分配造林の成果
〔研究者と所属〕 横山 春茂  阿波郷土会
〔発表者〕    横山 春茂
〔要 旨〕
 阿波郡伊沢村の伊沢主馬之助が創案した収益分配による造林は現代林業経営にも示唆を投げるものであった。彼は三年間備前松山藩で試行した経験を生かし、本藩でも施業することによって藩益、民益を増進することを藩府へ進言し、藩でもその有利性を認め主馬之助を指導役として阿波、麻植両郡に施行させた。更にこの方法を真剣に取上げたのは海部郡代高木真蔵で、真蔵は海部郡の住民が経済的に他郡の住民より劣弱であることから、これを救う対策として同地方の空山及び入会山いりあいやま(牛馬の飼料または田畑の肥料とするため藩に運上銀を納めて草を刈る無立木地)が必要以上に広面積であることに着眼し、主馬之助の造林方法を採用することを考え、弘化二年まず阿部の十五町歩に施行、引続き伊座利、日和佐、山河内、西河内、鞆を加えた六ヶ村に七十万本を植付けた。
 然るにその約二十年後、明治維新と廃藩置県の政治上の大変革を経過してこの植付けたスギがどうなったのか全く不明となっていた。
 はからずも今回の調査に於て約四十年前(喜多条延太郎村長時代といわれる)阿部で伐採したことが明かとなり、しかも伐採当時の成長度は目通り直径尺五寸ないし尺八寸であったことが故老の言によって証明された。約六十年生でこの成長率は決して低劣だとはいわれないし、植付地が通稱水の元という谷合の湿●な肥沃地を選んでいることもスギに対する知識のほどを語っている。しかし何よりも大きな収穫は藩政末における造林の結果がとらえられたことである。なおこの事実の新聞報道によって海部町鞆でも数本の残存木があって、樹令測定の決果大体百年に近いことが明かとなった。残された問題は、
1. 地質とスギ造林の適否
2. 造林技術と生長度の関係
3. 林相荒廃の原因究明と造林方法の選択
 などである。1については土地の素因が近い時代の変成度の高い砂岩系母岩の風化でできているため、乾燥したヤセ地であるため植物の生育には余り適当でないという結論が地学班によって究められているが、実地についてはなお一層究明を進める余地があるようだ。2、3については時間があれば言及したい。


 



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