阿波学会研究紀要

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第三回郷土研究発表会  
阿部・伊島の建築風俗 徳島県郷土建築研究会   

           藤目正雄・四宮照義
〔研究テーマ〕   阿部・伊島の建築風俗

〔研究者と所属〕 藤目正雄・四宮照義  徳島県郷土建築研究会

〔発見者〕     四宮照義

〔要 旨〕

 阿部には鎌倉以前の文献が見当らないから、生成については追求すべくもないが、制約の多い地理的条件から考えると、恐らく隠者、漂流者などが次第に住みついて村落を作って行ったものと思われる。藩政時代に入って完全に藩権力支配下に組入れられてからは他の外帯沿岸漁村と同様な形で発展して行ったが、地形的制約が規制した徹底的な密集農業、貧弱な磯漁業の伝統は阿部の民家建築風俗の上にかずかずの特色を残した。

成清丑太郎氏宅

 主人の話では四代前に建築したというから約150年を経過している。阿部の「いたゞき」行商を経済的に支配して来たこの海産物問屋には藩政末期から昭和初期までの貸借帳、大福帳がダイドコの隅にあるチョーダンスにぎっしり納められていて当時の事情を明瞭に物語っている。

 平面構成に於て客用、家族用と部屋が二分されているのは此の種富豪の住居に常に採用されているものである。客用部屋にはゲンカ、オクザシキ、カミザシキがあり、家族用の部屋にはニワ、ダイドコ、オクがある。その中間に位するレンヂは海産物問屋としての事ム用の取引部屋として使用された。レンヂの部屋より二階のザシキ、ナンドへ上る箱段が設けられている。二階には、ゲンカ、オク、レンヂ、ダイドコ、ニワの上部が当てられている。ダイドコの前のニワは以前カマヤであったが現在は裏のクラの「付け下し」に移してある。その横にインキョヤが建てられ、老夫婦の隔離された座敷となっている。オクはゲンカの後にあって、佛壇、タンス、夜具入れのトダナがあり、家族の寝室として使用されている。

松村秀雄氏宅・渡辺文刀氏宅

共に100年位前に建てたもので、ニワの左にオモテ、ナイショ、オクを有しオモテの部屋が末だザシキ(アガリタテとも言う)とオモテの二室に分離されていない平面構成をとゞめているものとして興味がある。このような平面構成を持つ民家は相当数阿部に残っている。

 伊島の漁業構造は阿部とは多少異なり、外延性をもっている。藩政時代三度の移民が阿波藩の伊島開拓政策によって行われたと推定されるこの島には、キヌタの風俗があり、民俗学上にも興味深い問題を投げかけている。

川西元一氏宅

80年以前の建築で、ニワ、オモテ、オクと横に並んだ併列三ツ目式平面構成をもったものである。山の中腹をけづりとって築いた敷地に建っている。ニワの奥の部分は下屋を葺下してムシロ敷のダイドコとしている。又西側にも葺下してモノオキを設けている。ベンジョ、ハシリ共にソトニワに設けられており、ソトニワの前面には高さ12尺の石垣を崖に築き、危険のないようにその上に船板の古材で柵を設けてある。 

図(03minka2_fig01)


 


 



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