阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第26号
池田町住民とくに農業従事者の健康状態について

農村医学班

   坂東玲芳・板東章二・村田孝・

   久保博・村山善紀・大久保岩夫・

   中西泰子・小川幸子・七條弘子・

   松浦一・林敬子

   (徳島県厚生連 麻植協同病院)

   井上博之・渋谷啓治・遠藤博久・

   板東博信・青木茂子・笠原敏子

   (徳島県厚生連 本部保健事業部)

はじめに
 徳島県厚生連および、その翼下の病院で組織する農村医学班が、阿波学会の調査研究に参加するのは、昭和54年度で以て、5回目となった。過去5年の神山、牟岐、山城、市場の4町の調査結果は、すでに、報告(1)せられているが、今回の池田町住民の健康診断結果をまとめるにあたって、過去の4町の結果と対比し、また、他に、私達、厚生連の施行している巡回健康診断結果(2)と比較検討した。

  対象と方法
 健康診断の対象者は、例年にならい、地元の池田農協に選定をお願いした。すなわち、現在主として農業を営む経営主とその婦人で、その内訳は表1に示した。男子75名(平均年令51.1才)、女子117名(平均年令48.8才)の合計192名で、40〜50才代の人々が大半を占めている。


 健康診断の実施日は、昭和54年7月26日より28日までの4日間で、例年の如く、真夏の最中であった。1日の健康診断者は約50人で診断会場は箸蔵、白地と旧池田町内の2ケ所、計4ケ所であった。
 次に健康診断の内容について述べる。この方法は、徳島県厚生農協連が実施している精密成人病検診と同一内容であって、問診、検尿、医師による内科的診察、胸部、胃部の間接X線撮影、心電図検査、採血による貧血、肝機能、血液化学的検査等を包含し、巡回検診による健康診断としては、もっとも高度なものに属するものである。
 これらの方法と正常値、判定規準等を表2に示した。

 

  結果と考察
 私達は、巡回健康診断の結果を被検者に通知する際の規準をA、B、C、D、Eの5段階法によっている。すなわち、Aは異常なしで、検診上全く異常を認めず、健康状態は良好であることを保証するものである。Bは、経過観察を意味し、若干の変化は認められたものの、特別な注意や、検査等を必要とせず、その旨を本人が知っておっておればよいと言う程度の異常で、例えば、胸部X線検査上、硬化した旧い結核病巣があったとか、血清コレステロールの軽度の上昇があったとか程度のものである。Cは、要注意としたもので、現在、精密検査や、医療を要するほどのものではないが、日常生活上の注意を要すると言うことで、例えば、軽度の高血圧(境界域高血圧)、軽度の貧血、軽度の高脂血症と言ったたぐいのものである。Dは、異常が認められたので、あるいは、検査上、疑問の点があるので、さらに再検をまたは、精密検査を要するもの、Eは、明らかに異常であり、医師の診療を必要とするものである。
 池田住民の健康診断結果を以上の5段階に分類した結果を表3に示した。

男子では、30.7%、女子で41.9%が、A(健康)、B(ほぼ健康)に属し、Cの要注意が、男子18.7%、女子15.4%、Dの要再検が、男女それぞれ1/3の33.3%および、32.5%、また、Eの要治療者は、男子17.3%、女子10.3%にのぼった。男子約1/3にのぼった、要精検者は、後述するように、胃再検、胃の要精検者を含んでいるので、必ずしも、現在、有病者であることを示すものではなく、また、要治療の大部分は、高血圧症によるものであった。以下、この要精検、要治療者の疾患内容について述べる。
 図1は、男子の疾患内容を示したもので、高血圧、胃、胸部のX線検査の要再精検者、尿の要再検者、高尿素窒素血症者等が約7%以上で多く、女子では、図2に示したようにほぼ同様の異常者数を示した。

 
 以下、これらの疾患別に検討した結果を述べる。
 (1)高血圧について
 血圧をWHOの基準によって、収縮期血圧160mm/Hg以上、拡張期95mm/Hg以上のいずれかを示すものを高血圧症、同様に、140mm/Hg 90mm/Hgのいずれかをみたすものを境界域高血圧症とすると、高血圧症は、男子12名16.0%、女子9名7.7%に、また、境界域高血圧を含めると、男子26.7%、女子26.5%の約1/4の多数に高血圧がみられる。これを、過去の阿波学会調査地域の高血圧者率に比すると、図3に示したように、池田町住民の高血圧率は、もっとも高い地域に属し、男子は、山城町におけるとほぼ同様の高血圧者率を、女子では、山城町を凌ぐ高血圧者率を示した。

徳島県下の中では、池田町を中心とする三好郡は、脳卒中死亡者率の高いことで知られており、同じ三好郡下の山城町とともに、高血圧者率の高いことは、すなわち、脳卒中の危険因子を多く有することを示唆するものと考えることができる。なお、しかし、この高血圧率をわれわれの農協健診の結果(2)や、厚生省発表(3)の日本人の高血圧者率と比較すると、必ずしも高率ではない。これは、今回の対象集団が健康な農業者を対象としたためと、季節の影響もあろうと推定される。
 (2)肥満度について
 昭和54年10月に、徳島市で開催せられた日本農村医学会では、そのシンポジウムに「農村婦人の肥満」(4)がとりあげられ、この中で、成人の肥満が、都市ばかりでなく、農村にも及んでいて、しかも、男子にも、かなり高率にみられるので、今後の成人病予防上の大きい問題点があることが指摘されている。
 今回の本調査においても、身長と体重より箕輪の標準体重表(5)を基準として、肥満度を算定した。表4は、県下平均との年代別比較を、図4は、農林省統計による経済地帯別の肥満者率の比較を示した。

この表と図の両者における平均年令は、いずれも40代後半で、各地域とも大差はない。これらから理解できることは、概括的にみて、池田町住民の肥満者率は、県下平均よりも明らかに低く、また、肥満者率は、一般に経済力の程度に比例する如く増減するが、池田町の属する農山村地帯における平均値に近いか、それ以下の程度である。すなわち、肥満者は少ない。この結果は、最近の日本人全体としての経済力の向上と、豊富な食生活の結果と考えられる肥満者率の増加(3)とは、マッチしない状態である。そしてこれは、現今の成人病のうち、とくに、糖尿病、心疾患、さらに高血圧等か、肥満そのものが大きい危険因子とせられていることを考慮すると、むしろ歓迎すべき結果とも言うことができる。しかし、高血圧症は、先述した如く高率に認められており、後述する血清総コレステロールが比較的低値を示したことと併せて、健康上、大変大きい問題点である。
 (3)血清脂質について
 血清脂質は、動脈硬化ひいては、高血圧との関連が深いが(6)(7)、最近では、これらを種々に分画して、各種の疾患との関連が論ぜられている(8)。ところで、集団健診では、詳しい分画までは不可能で、私達は、血清コレステロール(以下TCと略す)と中性脂肪(トリグセライト以下TGと略す)について測定した。
 表2に示したように、TCは、その正常値を120−199mg/dl(A)、200−239をやや高値(B)、240−259mg/dl を高値(C)、260mg以上を異常の高値とし、TGについては、190mg/dl 以上を異常としている。
 表5に、池田町住民のTC、TGについての検討結果を示した。

TCの平均値は男女とも170mg/dl 前後、また、TGも男子75、女子80と比較的低値を示し、異常者率も低かった。
 TCについて、さきの肥満者率と同様に経済地帯別の平均値と異常者率をみると、表6の如く、池田町はもっとも低く、異常者率も男女とも2%余に過ぎなかった。


 さて、血清コレステロールの生理的、病的意義については、現今、み直される機運にあり、例えば、高血圧ラットにおいては、TCの高いラットにおいて、むしろ卒中発症率が低いとの報告がある(8)(9)(10)。日本人の成人における平均値は、表6に示した値とほぼ同様に、180〜190mg/dl と考えられるが、のぞましいTC値としては190〜230mg/dl としたいとの考えもある。これは、高コレステロール血症が、冠動脈疾患の危険因子として知られており、われわれ日本人が、脳卒中と心疾患の両者にならないためのTC値として考慮せられたものと言うことができる。この点からみて、池田町住民のTC値は、正常値には相違ないが、成人病予防の面からは、多少とも高い値がのぞましいのではないかと考えられ、先述した高血圧と肥満の少ないこと、TC値の低いこと等を併せ考えると、自ら、今後の方針が明らかとなる。
 すなわち、栄養上からは、もっとより多く動物性脂肪等のコレステロール含有食品を摂るべきではないか、そして、より強い減塩食を実行して血圧の低下を心掛くべきものと考えられる(10)(11)。
 (4)貧血の有無について
 表7に、血液中の血色素量測定結果を過去の阿波学会の調査地域の結果とともに示した。

貧血者率は、男子14.0g/dl 未満、女子12.0g/dl 未満を貧血とした場合の結果である。男子にあっては、その平均値は高く、貧血者も明らかに他の4地区よりも少ない。女子では、その平均値は、他地区とほぼ同一値であるが、貧血者は少ない。
 これを、昭和53年度の県下の他地区と経済地帯別に分けた結果と対比してみると、表8の如くで、平均値でほぼ同様の水準にあり、貧血者は少ない方であった。

 一般に、貧血の程度、また、貧血者率の多少は、その個人、また、集団の健康水準を表わしていると考えられている(12)。したがって、この血色素量でみる限り、池田町住民の健康状態は、良好である。とくに、同一の農山村あるいは山村と言う環境下にあるとみられる神山町や山城町の調査結果より、はるかに、良好であったことは、大変喜ばしい。
 (5)血清蛋白、血糖、尿素窒素について
 表9に、上記3者の平均値と異常者数とその率を示した。

 血清蛋白量、血糖の平均値、異常者率に関しては、特に問題はない。
 尿素窒素の異常者数は若干多いような印象をうけるが、これは、腎不全状態にある人数を示すものと考えられず、真夏と言う季節的影響による異化作用の亢進を示すものであろうと考えられる。

 (6)肝機能について(表10)
 肝機能を表わす指標として、血清GOT、GPT、Alp、Cheの4者を測定したが、異常者は各々について、0〜1名に過ぎなかった。また、最近とくに慢性肝炎、肝硬変等に関係あるとせられ、注目せられているB型肝炎抗原(HBs-Ag)の陽性率も(11)、県下平均を下廻る程度であった。


 (7)X線検査結果について
 表11に、胸部、胃部の間接X線撮影による検査結果を示した。

一般に、山村、農山村地域では、胃症状の精検率は高いことが多い。しかるに、今回の胃X線検査の要精検率は、とくに高い結果ではなかった(2)。これは、印象的なものではあるが、農山村地域でも、経済力の向上、食生活の近代化に伴ない、いわゆる慢性胃炎も減少しつつあるのではあるまいかと考えられる。そして、このことは、貧血者が少なかったこととも、関連づけられるように思われる。
 (8)心電図検査結果について
 表12に、心電図検査結果をまとめた。

高血圧症が多く発見せられた割には、心電図異常は、多いとは言えない(2)(3)。男子に比し、女子の異常者率が、多く認められたのは、女性にST部のごく軽度の変化者が多かったためであるが、この意味づけは、今のところ困難で、高血圧の関連がなしとは言えないけれども、女性特有の検査に対する過敏性反応によるものかもしれない。
 (9)検尿結果について
 表13に検尿結果を示した。

尿糖陽性者は女性で僅かに2名(1.8%)であった。一般の検診(2)よりは低い。尿蛋白、尿潜血陽性者は5.3%より15.3%とやや高い。しかし、これは恒常的異常とは言えず、経験的にみて、再検査では普通この1/3程度となる。とくに女性の尿蛋白、潜血は、生理的なものも考えられるので、この結果は、あくまで、異常と言うよりは、要再検者と考えるべきものであろう。

 

 まとめ
 農村医学班として、阿波学会調査に、神山、牟岐、山城、市場、そして今回の池田と5ケ年連続して参加した。対象人数、年令そして季節的にも、ほぼ同一時期であり、健康調査結果を対比して検討した。
 概論的に言えば、全般的にみて、健康状態は、漸次、好ましい方向に改善されつつあると言える。
 一般農村住民の健康状態を、最近10年間の流れの中でマクロ的にみると、数年前までは、貧血の追放が大目的であった。同時に癌の早期早見ももっとも大切な目標であり、これは、今後も変ることなく続けられるべきだが、幸、胃癌や子宮癌は漸減傾向にある。しかし、癌以外の高血圧、高脂血、また肥満者の増加が、最近の健診結果でより主たる傾向と言うことができる。
 今回の池田町の調査では、貧血は極めて少なく、幸、明らかな癌も発見されなかった。しかし、高血圧は多く、一方、高脂血、肥満の傾向などは認められなかった。もし、高血圧が少なければ、もっとも理想的な状態と言うことができるが、実は、これは、後進地域の一つの特徴である。すなわち、貧血の時代に比して、格段の、改善はあるものの、まだ、高脂血や、肥満をきたすような食生活、栄養摂取の状態ではないと言えるのではなかろうか。コレステロールを例にとれば、もっと、コレステロールを含む動物性蛋白食品をとり、血清コレステロール値を現在よりあげるような食生活がのぞましいと考えられる。要するに、経済的後進性をそのまま反映した健康状態であると結論することができる。
 具体的に結果をまとめると次のようになる。
 池田町の農業者男子75名(平均年令51.7才)、女子117名(48.8才)の健康診断を実施した結果は次のようであった。
(1)要再精、要治療者は男子28名(50.7才)、女子40名(42.7才)で、これを疾患別にみると高血圧、胃疾患、尿蛋白、潜血陽性、高尿素窒素血症等が主たるものであった。
(2)診察所見でみられた主なものは、腰痛症、関節疾患(膝、肘)で、農業労働と地形の影響が考えられた。
(3)高血圧は多かったが、高脂血は認められなかった。
(4)肥満者も甚だ少なかった。
(5)貧血が少なかったことは特記すべき進歩である。

(以上)

 参考文献
1.阿波学会編、坂東玲芳ら:総合学術調査報告、神山町、郷土研究会発表紀要22号、徳島県立図書館、1976
  同会編、加藤和市ら:同牟岐町、同誌23号、1977
  同、坂東玲芳ら:山城町、同24号、1978
  同、今川大仁ら:市場町、同25号、1979
2.徳島県厚生連:昭和53年度 健康管理活動結果報告、1979
3.国民衛生の同向、厚生の指標 25巻、9号、1978
  同誌、26巻、9号、1979
4.第28回日本農村医学会学術講演集、シンポジウム 農村婦人の肥満、日農医誌、28巻、3号、1979
5.箕輪真一ほか:成人の標準体重に関する研究、日医新報、No.1988、1962
6.内科シリーズNo.20 動脈硬化のすべて、南江堂、東京、1976
7.内科シリーズNo.34 脂質代謝異常のすべて、南江堂、東京、1979
8.家森幸男ほか:脳卒中の実験的研究、内科、36巻、4号、1975
9.小町喜男:生活環境と脳卒中、内科36巻、4号、1975
10.喜多村孝一、亀山正邦編:脳卒中―基礎と臨床―、朝倉書店、東京、1979
11.富永忠弘:高血圧の死因と予後、内科シリーズNo.11、高血圧のすべて、南江堂、東京、1973
12.南与志子ほか:徳島県下農民のHBs抗原抗体の調査、日農医誌、28巻、3号、358 1979


徳島県立図書館