阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第28号
貞光町における農業従事者の健康状態

農村医学班

 農村医学班 坂東玲芳・斎藤雅彦・峯園浩二・北室友也・大久保岩雄・小川幸子・高橋恵子・

         新居純子・八木節子・久保圭子・酒巻貞代・松浦一・玉置研介・林啓子

         (以上徳島県厚生連、麻植協同病院)
         井上博之・蔭山哲夫・渋谷啓治・林まゆみ・北詰恒子・井内啓志・遠藤博久・

         臣永美保・江本茂子・杉本英雄
         (以上徳島県厚生連健康管理部)

はじめに
 28年間に亘る阿波学会の学術調査の中で、私達の農村医学班の参加は、もっとも新しく昭和50年からである。しかし、今年ではやくも第7回目を教えるに至り、この間の調査結果は、すでに報告(1〜6)のとおりであるが、この健康調査は、いわゆるフィールドワークとしては、現今の水準以上のものがあり、私達厚生連の施行する種々の巡回健診(7))の中でも、もっとも程度が高いものと考えられている。
 今回はさらに、この総合健診(7)の上に、眼底検査、肺機能検査を加え、より完壁を期した健康調査を実施できたので、この結果を報告する。
 

 調査対象と方法
 調査対象者は、現在、主として、農業を営むその経営主とその配偶者とし、200人を目標に対象の選択は、地許の美馬郡農協端山、貞光の両支部に依頼した。
 このさい、端山地区は、その特産である煙草栽培を主とする農家120人を、また、貞光地区では、一般農家80人を目途としたが最終的には、男子82人、女子93人の175人で、その年令構成は、表1に掲げたとおりで、平均年令それぞれ48.8才、49.0才であった。
 調査方法は、例年の如く、原則として、内科的一般診察の他、血圧測定、採血による貧血の有無の調査、血液化学的諸検査とともに、今年はとくに、眼底および、肺機能検査を加えた。
 その方法と、正常値、異常値の判定基準等を表2に示した。
 調査日は、8/4〜7の4日で前2日は端山地区で、後2日は貞光において診察、検査を施行した。

 

 調査結果と考察
 既往症について
 男子における既往症の主なものは、表3に示した如く、高血圧12例(14.6%)、胃、十二指腸潰瘍12例、肝疾患10例(12.2%)、心疾患2例、結核2例、その他、喘息、痔、甲状腺機能低下症、各1例、眼症患2例等があった。
 女子では、高血圧、貧血各12例(12.9%)、胃腸病11例(11.8%)、肝疾患、虫垂炎手術各6例(6.5%)、心疾患、婦人科手術、泌尿器科疾患4例(4.3%)、胃、十二指腸潰瘍2例、心疾患2例、等が主たるものであるが、進行性汎発性強皮症という比較的珍らしい難病性疾患もみられた。


 嗜好についてみると、表4の如くで、喫煙者は、男子の72%、女子の2.2%にみられ、男子の1日喫煙本数は23.7本であった。

 飲酒にあっては、いわゆる晩酌を嗜む人は39%にみられ、平均量は、酒にして、1日1.7合であった。後述するγGTPの値とも併せ考慮すると、貞光町の人々の飲酒量は必ずしも多い方ではないであろうと考えられる。


 一般診察所見
 診察所見時、もっとも多くみられたのは、腰痛症で、男子18例22%、女子19例20.4%に認められた。この腰痛症は、一般人においても30〜40%程度の経験を有するものであるが、とくに農家においては、その労働の性質上もっとも多く認められるものであり、ことに農繁期には、70%程度認められることがある(15)。おそらく、問診のあり方、診察方法等でその発生率は、大幅に変動するものと考えられる。
 同様な性状のものとして、関節炎がみられるもの(とくに肘、肩)男子3例、女子6例であった。
 この他、2〜3の異常が認められたが、検査所見の部でも表われるものであり、とくに治療を要するほどのものは認められなかったので省略する。
 

 総合判定結果
 さきに述べた診察所見と各種検査所見とを総合して、私達は表2にも示したように、A.異常なし、B.経過観察、C.要注意(医療不必要、日常生活上の注意を要する)D.要再検または精検、E.要治療の5段階法による判定基準によって、総合的な健康診断結果の判定を施行している。Bの経過観察とは、なんらかの軽微な異常が発見されたものの放置して経過をみるだけでよいと言うもので、日常生活上は、異常なしとしてよいものである。


 さて、総合判定結果は、表5に示したように、異常なし男女とも約1/3、要注意約1/4、要再検約30%、要治療約12%の結果となった。これを表6の一般の巡回検診と比較すると、今回の貞光町では、同年代者において異常者率は下廻り、対象者の相違による点もあろうが、貞光町住民の健康状態は必ずしも悪い方には属さないとしてよいと考えられる。
 

 要精検要治療疾患の内容
 図1に要精検、要治療とせられたものの疾患名を多い順にかかげた。男子では、高血圧、胃X線異常による要精検者、高コレステロール血症が主たるものであり、女子では、高コレステロール血症が首位を占め、以下、心電図異常、高血圧、高血糖、貧血と続き、いわゆる成人病傾向が明らかに現われる。


 以下、各々の検査結果について、記することにする。
 

 高血圧について
 高血圧は、どのような検診であれ、必ず測定され、異常者が多く発見されるものである。そして、加令による増加、地域特性も明らかであって、日本人死因の第1位である脳卒中や、心疾患の原因として、成人病対策の重要な位置を占めることは論を俟たない。
 貞光町における高血圧者率を、男女別に他の阿波学会における調査地区および、一般巡回検診と比較したのが図2である。
 WHOの基準による高血圧(160/95以上)は男子約10%、女子8.7%で、他地区に比して高い方ではなかった(1−8)。境界域高血圧を含めてみると、男女とも約20%で低い方でもない。このように貞光町の高血圧は地域特異性があるとは考えられないが、この地においても、成人病対策上第一に挙げられる疾病と考えられる。


 肥満度について
 肥満者(箕輪(10)の標準体重より算定して+20%以上とした)率は、表7の如くである。経済地帯別の比較では(図3)、山村地帯よりかなり高く、また、貞光の属する農山村としても若干高い方にあり、この面の対策も今後問題となろう(1)(2)。


血清脂質について
 血清脂質には、化学的に、リン脂質、トリグリセライド(中性脂肪)コレステロール、遊離脂肪酸に4大別される。この中、その生理的ないし病的意義、測定方法の難易等より、一般的には、中性脂肪とコレステロールが、よく測定され、最近は、コレステロールの中、HDL−コレステロールについても測定せられることが、広く行われるようになっている(9)(13)(14)(17)。
 今回の調査では、私達は、血清総コレステロール(以下T.C)と、HDL−コレステロールおよび、中性脂肪の3者について測定した。
 血清総コレステロール値の測定結果は、表8、9に示したとおりであったが、例えば、地域環境的類似性が考えられる山城町、池田町等に比し、貞光町住民の T.C 値は、かなり高値を示し、この値は、平地農村地帯や都市近郊農村に匹適する値であった。
 このことは、T.C が、都市化が進み、経済的余裕が考えられる地域住民ほど T.C 値が高いことを考えると、最近の貞光町は、その食生活がかなり都市化しつつあるということを示す結果と考えられる。
 一方、高比重リポ蛋白コレステロール(HDL-C)についてみると、一般に T.C あるいは、低比重−リポ蛋白コレステロールが、動脈硬化の促進物質とせられているのに反し、HDL-C は、動脈壁等のコレステロールの除去の作用を有して、動脈硬化の防止、予防に役立つことが分ってきている。したがって、HDL-C は高値を示す方が、長寿の面からもより好ましいわけである。この値は、表8に示したように、あまり高い結果とは言えない。
 今後の成人病とくに動脈硬化、冠動脈疾患の予防上、また、栄養指導の面において、大いに留意すべき問題点の一つであると考えられる。中性脂肪の増加は、私達の肥満そのものの原因物質であるが、これの病的意義については、不明の点が少なくない。しかし、一般に動脈硬化、肥満、糖尿病等との関連は深く、血清中性脂肪の高値は、決して好ましいことではない。


 例えば、表10に示したように、肥満度の高いほど血清 T.G 値は高い。さて、貞光町住民のそれは、男女ともほぼ平均的な値であったが、T.C、HDL-C と併せて、栄養摂取のあり方には、より細かい指導が必要と考えられる。


 

 貧血について(表11)(表12)

 血色素平均値は、過去のどの地域よりも男女とも僅かながら高くまた、貧血者率も少なかった。非常に良好な成績で大変喜ばしいことであった。ただ、貧血者の中の大部分は、極めて軽度で問題はなかったが、一部、病的貧血もみられたことは残念であった。
 

 心電図について(表13)(表14)(表15)
 心電図検査は、標準12誘導法によるものを対象者全員に施行した。その判定はミネソタコードによった。結果は、表13に示したとおりで、女性の異常者は、一般検診よりも多く認められたが、男性は少なかった。その内容をみると、虚血性変化が大部分で高血圧および高コレステロール血症が、関連するものであった。

  


 肺機能について
 対象者全員にオートスパイロメーターAS2000(ミナト)による肺機能検査を施行したが、その解析は多くの問題点を含み、今回の報告には省略した。いづれ詳しく検討の上、稿を改めて報告する予定である。
 

 眼底検査について(表16)
 眼底検査は、無散瞳眼定カメラ(CR2-45NMキャノン)を用いて撮影されたフィルムにより判定せられた。その結果は、表16の如くで、男子8、女子7、計15名(8.6%)の異常が認められ高血圧ないし動脈硬化による網膜血管異常が大部分で、異常者の大半には高血圧が認められた。この異常者率は、巡回検診(7)の異常者率1.5%に比するとかなり高い異常者率であった。
 この結果は、成人病対策としての高血圧対策が、非常に大事であることを示唆するものと考えられる。

 

 X線検査結果について
 胸部間接X線検査は、男子80名、女子89名に施行し、男子にあっては、要精検3、要注意2、異常なし75名、(93.8%)であった。女子では、要精検1、要注意3、異常なし85名、(95.5%)との結果で、とくに問題点を指摘されるほどのものは認められなかった。胃部X線検査は、男子58名、女子71名に施行した。その結果男子6名、女子3名に要精検者が発見せられたが、他のグループに比し、特に高い要精検率とは考えられなかった(7)。
 

 肝機能検査結果について
 腹部の理学的診察所見として、肝を触知した者が男子4名、女子1名に認められたが、この人達の肝機能検査は正常で、病的肥大とは考えられなかった。
 血清による肝機能検査については、GOT、GPT、Alp(アルカリ性フォスファターゼ)、γ−GTP、クンケル試験(ZTT)について施行した。
 GOT、GPT、両者が正常域を越した異常者は男子3名(3.7%)、女子1名(1.1%)、GOT 異常女子1名、GOT 異常男子1名(1.2%)であった。その程度はいづれも100単位以下で軽度異常であったが、いづれも精検を要し、今後の経過観察を要するものと考えられる。また、ZTT は男子1名、女子2名(1.1%)で軽度高値を示したが、この人達のGOT、GPT は1名を除き、正常値であった。一応いづれも要再検とした。
 γGTPは、飲酒癖と関連する酵素(10)として知られており、一応40単位以上を異常とすると、女子ではこれをこす異常者はなく、男子2名(2.3%)のみであった。2人ともかなりの飲酒癖があるものと考えられたが、嗜好のところで述べた飲酒癖のある32名よりはγGTP の高値を示したのは小数であった。
 

 血清コリンエステラーゼ値について
 血清コリンエステラーゼは、肝内酵素と考えた場合、肝硬変や全身衰弱をきたす悪液質等で低値を示すことが知られているが、他方、農業者にあっては、農薬中毒とくに、有機燐剤、カーバメイト剤の急性中毒時の低下で有名である。低値を示したのは男子1名、女子3名で他に異常を認めず、病的意義はないものと考えられた。
 

 血清総蛋白、尿素窒素について
 血清総蛋白の低下を示した者は、男子6名(7.3%)、女子3名(4.3%)、高値を示したもの1名であった。しかし、その程度は軽く、他に異常は認められないことから、病的意義は殆んど考えられないものの、栄養摂取上の指導が必要と思われる。
 

 血糖値について
 尿糖陽性者は、男子2名、女子1名であった。この男子は血糖値は正常で、空腹血糖は、男子は全例正常であった。
 女性の1名は尿糖陽性、空腹時血糖も高く、糖尿病者に治療中のものであった。さらに残り3名の高血糖者は、肥満が認められ、糖尿病としての治療が必要と考えられた。
 この糖尿病発生率は、未だ他地域に比して高いとは考えられないものの、肥満、高コレステロールとともに成人病の基礎をなすものであるだけに、今後の十分な管理が必要である。
 

 検尿結果について
 尿蛋白は、男子1名、女子2名、尿糖は、男子1名、女子3名の陽性者であった。いずれも要再検としたが、尿蛋白に関連する尿素窒素は正常であった。血糖値については先述した。
 

 まとめ
 徳島県厚生連本部健康管理部および、同麻植協同病院スタッフで構成した農村医学研究班は、阿波学会学術調査に参加し、貞光町の主として農業を営む経営主夫婦を対象とした総合的な精密健康診断を実施した。
 その結果を要約すると、次のようである。
1)対象者は男子82名(平均年令48.8才)、女子93名(平均年令49.0才)であった。
2)総合異常者率は、男女とも約40%であったが、これは、一般巡回検診よりも、やや低い数値である。
3)主な異常は高血圧、胃部X線異常、高コレステロール血症、心電図異常等で、肥満者率も低い方ではなかった。
4)この結果を考察すると、いわゆる生活の向上、都市型食生活、洋風化に伴う成人病罹患の倶れが考えられ、貞光町農業者においても、新しい傾向としての成人病、すなわち、肥満症、虚血性心疾患や糖尿病などの対策が高血圧対策と同様に今後の重要な課題と考えられる。
5)とくに地域的特徴は、みられなかったが、農業労働に伴う腰痛症や、関節疾患等も、生命そのものには直接関係ないものの、忘れてはならない健康対策上の大切なものである。
 

 文献
1)坂東玲芳ら:神山町農家と農民の健康状態について、郷土研究発表会紀要:22、159、1976
2)加藤和市ら:牟岐町における農業従事者の健康調査、郷土研究発表会紀要:23、151、1977
3)坂東玲芳ら:山城町農家と農民の健康状態、郷土研究発表会紀要:24、105、1978
4)今川大仁ら:市場町における農業従事者の健康状態、郷土研究発表会紀要:25、139、1979
5)坂東玲芳ら:池田町住民とくに農業従事者の健康状態について、郷土研究発表会紀要:26、195、1980
6)右見正夫、今川大仁ら:上板町における農業従事者の健康状態、郷土研究発表会紀要:27、95、1981
7)徳島県厚生農業協同組合連合会編:昭和55年度、健康管理活動報告書
8)厚生省公衆衛生局結核成人病課編:成人病のしおり、1981
9)大久保岩雄、久保博ら:血清HDL−コレステロールについて、四国の農村医学、No.11、P44、1981
10)箕輪真一ほか:成人の標準体重に関する研究、日医新報、No.1988、1962
11)坂東玲芳:肥満者の臨床検査値:農村の健康福祉シリーズ、35号、1、全国共済連、東京、1980
12)村田孝、坂東玲芳ら:徳島県下農村婦人の肥満と環境要因、日農医誌:28、186、1979
13)宮原伸二:農村におけるHDL−コレステロールの実態について、日農医誌:28、843、1981
14)Miller G. J. and Miller N. E.:Plasma high density lipopratein Concentration and development of chenne heart disease, Loncet 1:16、1975
15)坂東玲芳ら:そ菜栽培農業者の腰痛症、四国の農村医学:No.5、17、1978
16)藤沢冽、西川弘ら:γグルタミルトランスペプチダーゼ(γGTP)、日本臨床、38、889、1980
17)福井巌、高野圭以ら:トリブセライド、日本臨床、38、134、1980


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