阿波学会研究紀要


このページでは、阿波学会研究紀要論文をご覧いただけます。
 なお、電子化にともない、原文の表記の一部を変更しています。

郷土研究発表会紀要第28号
貞光町の農業

地理班 横畠康吉・上田喜博

1 はじめに
 農山地的性格の著しい農業地域では、集約的農業経営によって特殊な農産物を生産販売することで、農家経済を支えてきたが、近年の農工間所得の格差の増大は農家経済を崩壊させるに至った。農業労働者は都市的産業へと流出し、兼業農家の増加を促した。農家の兼業化は基幹労働力を失うことで集約的農業経営を粗放化させつつ、特殊農作物の栽培へと移行していくのが一般的現象である。また、農山村農業地域は、域外流出人口の増大によって過疎化を招き、農家は、高令労働者を中心に、自給的作物と特殊栽培作物の生産によってかろうじて農産活動を成立させている現状にある。農家の専業→兼業→脱農という過程や専業と兼業とへの両極分解といった現象を農山村農業地域の中にみることができる。このような農家の社会経済構造変化は、農外産業の急速な発展に起因するという受身的な側面が強く現われるが、農外産業に対応し、農家経済を潤している農業部門もある。とくに貞光町では、古くから在来種の阿波葉とよばれる葉たばこの生産が農業の中心的存在で現金収入の代表でもあった。しかし近年、養蚕専業農家の育成やハウスイチゴ栽培、山間地畑地の高度利用としての果樹園地化が進行したり、ブロイラー飼育の規模拡大や山間地酪農業地区もあり、畜産業部門の生産所得の拡大が著しく増大するなど、商品生産農業の進展がみられる。ここに、地域の歴史的発展の結果生ずる農業変容の過程を地域の特性としてとらえることができる。このような視点に立って、貞光町農業の実態を分析し、その特性をとらえたい。(図1)


 

2 貞光町農業の基盤とその性格
 (1)貞光町農業の基盤
 貞光町の農業基盤をみると、次のようである。貞光町は、急傾斜地の山林原野の占める率が高く、耕地率は11.2%の山村農業地域である。大部分の耕地は、標高200〜300mに分布している。500m以上に分布する農地は少なく、高冷地野菜作農業の振興をはばむ山村農業地帯となっている。傾斜地畑作は、葉たばこの栽培と桑の栽培による養蚕業が中心となって、農家経済を支えている。また山間地農業の振興策として、急傾斜畑地の高度利用の推進のために、果樹園化が進行しつつあるが、労働力不足とあいまって、高収益をあげるには至っていない。主な果樹は、栗、うめ、ゆず、はっさくであるが、はっさく栽培は、先年の寒波により、壊滅状態にある。水田率は18.9%で、吉野川沿いの低地部と貞光川沿岸の中山地に棚田が小規模に展開しているだけであって、水稲の生産は低い。この水田経営規模は一農家当たり11.9aとなって、ほとんどの農家が自給生産の状態にある。平地水田地帯は、近年都市的土地利用が進展し、宅地等への転用が増加している。(表1)都市計画道路等の開発や河川改修と基幹道路の計画実施により、さらに水田の減少化が著しく進むことになろう。貞光町は、古くから貞光川が吉野川と合流する地点に、背後の集落と結びついた商業機能地域を形成しており、食品加工工場とともに、地域住民に就業の場を提供してきた。また、交通条件に比較的恵まれていることもあって、農家の兼業化を著しく進行させている。昭和55年の専兼業農家数は、総農家数915戸に対し、専業農家187戸(20.4%)、一種兼業農家214戸(23.4%)、二種兼業農家514戸(56.2%)となっている。昭和40年に比べ農家数は23.9%減少している。専兼業別の変化では、専業、一種兼業が減少し、二種兼業が増大している。農業経営基盤の弱体化とともに、山村農業地域に一般的である二種兼業化が進行し、農業構造再編が強くのぞまれている。このような状況の中にあって、農業生産の変化に大きい影響を及ぼすことであろう事業計画が推進されようとしている。柴内地区南部山間地の開発パイロット事業である開発計画地区は、標高400〜500mで、準高冷地農業地に該当して、野菜作りをはじめ総合農場としての機能を有するため、その開発が期待されよう。


 以上のように、貞光町の農業基盤は、山間地傾斜畑地における葉たばこ、桑と養蚕業を中心作目としてきた。農工間所得格差の増大が農家経済規模を縮少させる中で、二種兼業化が一般化した。このような中にあって、平坦地農業地区では少数農家がハウスイチゴの栽培に取り組み、山間地農業地区では、ゆず・すだちの栽培に経営方向を転換するなど、商品生産農業の育成が進められている現状にある。
 (2)貞光町農業の性格
 貞光町農業の性格を、各種統計によってみてみると次のようである。昭和40年の農業粗生産額は330百万円であったが、55年には4.8倍の1,599百万円となっている。農家1戸当たり農業粗生産額は50.5万円で、徳島県の86.8万円の58.2%となって、県平均より顕著に低く、農業経営規模の小さいことを示している。土地生産性は、10.2万円で、徳島県の12.6万円の81.0%となって、県平均より低い。労働生産性は38.6万円で、徳島県平均の96.8万円の39.9%となって、著しく低い。このように、土地生産性、労働生産性の低さが、貞光町農業の性格を表す一端となっている。また、1農家当たりの生産規模の零細性を物語るものでもある。昭和40年から55年にかけての農家数の減少が24.0%であったのに比べて、耕地面積では昭和40年の574haに対して、昭和55年には70.1%と約30%減少し、409haとなっていることなども農業経営の零細性をもたらしたものと思われる。(表2)

昭和55年の作目別農業粗生産の構成については、表3に示すとおりである。

畜産41.4%、工芸作物26.4%、養蚕10.6%、麦・雑穀など6.3%、野菜・花卉3.9%となって、畜産の比重が高くなっている。畜産では、ブロイラーの比率がきわめて高く、近年、食肉加工工場との契約飼育が域内に浸透したこともあり、大規模飼育農家が増大している。
 昭和40年と55年の比較でみると、貞光町の伝統的換金作物であった葉たばこの生産は労働集約的な栽培で多労働を必要とするにもかかわらず、労働力不足によって40年の36.6%から順次構成比を低下させている。また、野菜類、麦類の減少もみられるなど、耕種部門の減少が著しい。これに対して、畜産の増加が顕著である。畜産の増加は、昭和40年の17.0%から、41.4%へと急激に増大している。昭和55年の階層別農家構成比を表4に示した。

総農家数は915戸で、専業・兼業農家の比率をみると専業農家20.4%、1種兼業農家23.4%、2種兼業農家56.2%になっている。専業農家に1種兼業農家を加えても農業比重の高い農家は43.8%と半数以下となっている。昭和40年との比較でみると、専業、1種兼業・2種兼業それぞれの比率は、34.2%、32.0%、33.8%で、昭和50年には、13.9%、27.6%、58.5%となって、50年に専業農家がもっとも著しい減少を示し、2種兼業農家が総農家の過半数以上の58.5%に達した。その後、55年には、専業農家が6.5%の増加で、2種兼業農家が2.2%減少したものの、2種兼業化の比重はきわめて高いものとなっている。
 農産物の販売1位の部門農家数を表5に示した。

販売農家率は73.6%で販売される農産物は、工芸(葉たばこ)・繭・麦・雑穀・米・栗・うめ・晩かん・牛乳・ブロイラーなどであるが、これらが自立経営農家の主要商品生産部門となっているものの、自立経営農家にとっては、葉たばこ作を基盤とした複合経営によって、農業経営の安定化を図っている。しかし、複合経営による自立経営農家は少なく、多くの農家は、兼業収入に支えられた副業的生産物の販売である。専売作物の葉たばこ以外は、比較的規模の大きい商品生産農家は、各農業地区にそれぞれが分散しており、集団的なかなりの規模の産地の形成をしていない。このような中にあって、養蚕については、生産の地域的集中化が図られているようである。経営規模も大きく、養蚕専業農家の地域的集中化ではなく、小経営規模養蚕農家の地域的まとまりにすぎない。いわゆる小規模経営農家が地域的に集団化するタイプの産地を形成している。
 次いで、昭和55年の農産物販売規模別農家数を表6に示した。

総農家数915戸のうち販売なしの農家242戸(26.4%)であり、販売のある農家数は673戸(73.6%)である。また販売規模別では、200〜300万円販売農家が39戸(4.3%、300〜500万円販売農家が9戸(1.0%)である。したがって昭和55年の時点における自立経営農家は、48戸(5.3%)以内であることが推測される。要するに、貞光町の農業は、兼業農家による自給的性格の強い畑作農業地帯で、特定作目による産地形成まで至らない専業農家の複合経営と兼業農家の他産業依存の農業経営とによって、商品生産農業が分散的に存在する性格を有している。生産基盤である耕地面積の絶対量の制限の中にあって、耕種部門においては、生産農家が規模拡大に志向することなく、兼業化に向かう一過的状態にある。しかしながら、畜産部門にあっては、土地集約的経営の可能なブロイラーの飼育が食肉加工工場との関連の上に、生産農家の規模拡大に志向する過程にある。またきのこ類の生産専業農家も数は少ないながら着実な発展をみせており、新たな農業地域としての性格を地域に投影しつつ、地域分化をする現状にある。
 以上のような諸性格の貞光町農業の中にあって、商品生産農業部門の代表的工芸・養蚕・畜産部門について、その実態を考察する。

 

3.貞光町における商品生産農業
 (1)工芸(葉たばこ)
 貞光町の葉たばこの栽培の歴史は古く、山間地農業地域の農家経済に大きく貢献してきた。昭和55年の栽培農家戸数は266戸、作付面積87.10ha、粗生産額264百万円で、農業総粗生産額に占める割合は26.4%である。
 葉たばこは、山間地急傾斜畑地に在来種の阿波葉を主に栽培されてきたが、近年減反の傾向にある。この理由は、在来種であるために、生産の作業過程の大半が人的労働力を必要とするにもかかわらず耕作者の高令化が進行し減反をよぎなくされている。近時、省力栽培の可能な在来種に代わり、黄色種が導入された。しかし黄色種の栽培は、作付面積の割当てが増加されないこともあって、栽培面積は、在来種の80%に対し、黄色種は20%にとどまっている。葉たばこ栽培農家と収穫面積の分布をみると表7に示すように、平野地区(1)に栽培農家がもっとも多い。平野地区の農業集落は、胡麻平・平野・家賀・中山・長木・広谷の各集落から形成されているが、栽培農家は、家賀集落に集中しており、貞光町の葉たばこの主要産地を形成している。

とくに、家賀集落は、貞光町の山間地農業の中心となっている。栽培面積も総面積87.10haの38.3%に当たる33.39haで、1農家当たり32.1aである。次いで、川東地区(2)の58年(21.8%)、19.55ha(22.4%)となって、1農家当たりの栽培面積33.7aである。地区内でも柴内・白村の両集落が葉たばこの栽培農家が多い。さらに端山地区(3)では55戸(20.7%)、16.45ha(18.9%)で、1農家当たりの栽培面積29.9aである。この3地区で栽培農家の81.6%を占めている。栽培面積では、総面積87.10haの79.7%となっている。その他の地区では、栽培農家の戸数と比率からみて分散的である。
 以上のように平野地区・川東地区・端山地区に葉たばこ栽培が集中している。これら3地区ともに山間地傾斜地に立地し、葉たばこ専業農家は少なく、葉たばこ栽培を中心に、畜産・養蚕との複合経営農家が多い。
 (葉たばこ栽培農家の実態)
 事例農家の実態を述べよう。葉たばこ専業農家は少なく、他部門との複合経営により農業収入を安定させている農家が一般的であるとする貞光町農業の特性をふまえた上で、事例農家をとり上げた。
 平野地区のM農家は、葉たばこ栽培とブロイラーの飼育との複合経営による専業農家である。葉たばこ栽培面積33aとブロイラーを年間で10,000羽出荷している。労働力は、夫婦と祖母の3人である。葉たばこの年間作業は、4月10日頃に、長瀬の種苗センターから苗を引き寄せ、苗床に仮植し、4月下旬から5月初旬にかけて定植をする。とくに前作の麦畑の中に定植するほうが病気に強いこともあって、一般的に麦刈り前に麦畑に定植されている。労働力の関係もあって麦の栽培が敬遠されている栽培農家もある。7月10日から8月20日頃までに収穫され、天日乾燥したものを1ケ月程貯蔵し、色・形により5段階に選別し、12月上旬から下旬にかけて出荷する。このような作業過程が在来種の一般的作業過程である。作業の中でも土寄せに要する労働時間は、短時間であるが7月10日頃から8月20日頃にかけての収穫、乾燥、選別期には、1日10時間以上の労働となり、かなり多忙を極めるようである。
 このような多労働型の葉たばこ栽培との労働力競合をさけて、M農家では7年前からブロイラーの飼育を始めている。オールイン、オールアウト方式により、集落一体化の生産体制が取られ、ひな鳥を入れて70日で出荷している。これらのブロイラーは食品加工企業と農家との間に最低価格の保証制度が成立しており、万一、病害虫の発生によって、飼育ブロイラーの商品価値が下がったとしても、農家にとって不利益にならないようになっているようである。飼料から出荷まで企業に委ねられたブロイラーの生産は、山間地農業の近代化への進展とみることができるとともに、安定した葉たばこ栽培の補完作目であるように思われる。
 (2)養蚕
 養蚕業は、吉野川中・上流域の山地性の強い性格を有する農業の中にあって、主要な商品生産農業である。とくに徳島県の養蚕業は、葉藍の衰退後に吉野川流域に広く分布した農業経営部門である。戦後の一時期絹市場の暴落によって衰退化の過程をたどったこともあったけれども、近時天然繊維のみなおしとともに、再び生産の強化が図られているようである。
 貞光町の養蚕農家率は25.5%で、県平均養蚕農家率6.2%に比べて、貞光町での養蚕比重の高いことがうかがわれる。養蚕農家の分布をみると表8に示したように、端山地区83戸(35.6%)太田地区(4)48戸(20.6%)、川東地区32戸(13.7%)、平野地区23戸(9.9%)、西山地区(5)21戸(9.0%)、市街地区(6)・皆瀬地区(7)の13戸(5.6%)と順次構成比を低下させていく。


 これによると、養蚕の集中地区は2地域に大別することができる。その1つは、貞光川と吉野川合流点に形成された河岸段丘上に立地する農業地帯の太田地区と川東地区であり、他の1つは、山間地の端山地区である。この2大生産地域の特色は、生産規模の差として現われている。貞光町平均掃立卵箱数が6.1箱であるのに対して、太田地区の9.3箱、川東地区の8.4箱と町平均をはるかに上まわっており、生産規模の中型化を示している。一方端山地区では、1農家平均掃立卵箱数が4.9箱と小規模経営となっている。この理由として考えられることは、太田・川東地区にあっては、補完関係作目に水稲作があげられ、労働競合がそれほど激しいものでなく、むしろ省力化された経営基盤の上に複合経営が成立しているものと考えられることと、養蚕専業農家のあることなどが生産規模の中型化を示すものである。端山地区では、各農業集落別に特色ある養蚕との複合経営をみることができるが、蚕の飼料作物である桑園が果樹に転換されたり、葉たばことの労働競合などにより規模拡大に無理があることや他作目との複合経営によって収入の安定化を図ることの方が都合がよいとする理由によるものであろう。太田・川東・端山地区を中心に、他の4地区とも養蚕は、農家に現金をもたらす換金作目であり、貞光町農業の主要農業部門であることにちがいはない。
 (養蚕と葉たばこ栽培農家の実態)
 ここでは、複合経営農業の実態を示したい。貞光町農業の山間地養蚕農家では、他部門との複合経営による商品生産農業が一般的であるとする意味を前提として事例農家をとり上げた。
 端山地区のT農家は、養蚕と葉たばこの複合経営を行う専業農家である。28aの葉たばこと、50aの桑園を経営し、若夫婦と祖父の3人が主労働力である。飼育蚕期は、5月15日から6月20日にかけての春蚕と9月1日から10月6日にかけての晩秋蚕の年2回である。飼育規模は、春・晩秋蚕ともに5箱で、町平均飼育規模の6.1箱を上まわる規模となり、端山地区にあって、大規模飼育農家に当たる。春蚕飼育期間は、労働競合となる葉たばこ栽培は圃場に定植の終わった後で、土寄せと6月に入って花芽をかきとりと薬剤散布の作業ぐらいであり、それ程の労働競合とならない。また晩秋蚕飼育期間は、たばこの天日乾燥期となっており、作業競合上都合の良い時期である。このように、T農家においては養蚕と葉たばこの複合経営は、農家の年間労働力配分の上から極めてバランスのとれた経営部門であるということがいえる。
 以上のように、貞光町の伝統的商品作目である葉たばこと養蚕は、山間地農業での農家経済を潤してきた基幹部門であり、農家人口の減少に伴い、労働力不足や高令農業従事者の一般化する社会環境の中にあって、労働力競合をそれ程伴わない複合経営部門となっている。
 (3)畜産―山地酪農とブロイラー飼育―
 イ、山地酪農
 昭和55年の貞光町の酪農家は30戸で、125頭の乳牛が飼育され、総農家に対して3.3%め飼養農家率となっているが、専業酪農家もあって、小規模ながら山地酪農の形態を留めている。
 酪農業が最も盛んであったのは、昭和45年で飼養農家130戸で320頭が飼育されていたけれども、昭和50年、55年にかけて飼養戸数、頭数共に減少した。とくに副業的酪農家の減少が激しく、現存する酪農家はふるいにかけられた専業的酪農家が多い。


 その分布を表9によってみると、飼養農家が多く飼育頭数も多いのは端山地区で、次いで、川東地区となっている。町平均飼育頭数の42頭以上の地区は、西山地区、端山地区、川東地区であるが、酪農集中地区はなく分散的である。酪農専業農家の数は少ないが、他部門との複合経営による専業的専農家の方が多い状態にある。
 ロ、ブロイラー飼養農家
 ブロイラーの飼養農家数は、昭和40年には、6戸の飼養農家に3,400羽のブロイラーが飼育され、全農家に対して0.5%の飼養農家率にすぎなかったが、昭和55年には、飼養農家数では30戸、飼育羽数では570,100羽へと拡大している。
 表10は、地区別に飼養農家数と飼育羽数を示したものである。端山地区・平野地区の山間地農業地帯を主体とし、川東地区・太田地区・皆瀬地区にそれぞれ1飼養農家があるだけであり、市街地区・西山地区には、飼養農家はない。葉たばこ栽培、酪農業の中心地域と一致している。規模の面では、太田地区の5万羽以上飼育が首位となるが1農家にすぎない。
 ブロイラー飼養農家の全てが商社との契約飼育のため、価格の最低保証はされるが、1羽当たりの収益性は極端に低い。このため各飼養農家では、必然的に多羽飼育の方向をとり、規模拡大化の傾向をみせている。
 (畜産農家の事例)
 酪農とブロイラーを経営する端山地区のK農家と酪農と施設園芸を経営する市街地区のM農家の事例を述べる。
 端山地区のK農家は、兼業農家で、農業労働は、婦人と祖父の2人である。婦人が主にブロイラーの飼育、祖父が酪農を分担している。
 乳牛は5頭を飼育し、内3頭が成牛で搾乳をしている。搾乳量は1日60kgで、朝夕2回搾乳して森永ミルクヘ出荷している。
 とくにK農家では自給用飼料作物の不足が大きい問題となっている。とくに山村酪農であるため、飼料作物畑の規模拡大ができないこともあり、配合飼料にたよっている現状にある。
 ブロイラーは、昭和50年より飼育をはじめ、現在5,500羽を飼育している。年間4回の出荷であるが、この出荷時がいちばん人手を要することもあり、集落内の共同出荷体制をとることで、労働不足を解消している。
 M農家は、水田48a、草地50aを所有し、若夫婦は農外産業に従事しているため老夫婦2人の主労働力で5頭の乳牛を飼育している。酪農は昭和25年から始めているが、30年にミルカーの導入があって、搾乳時の労力が省力化されている。搾乳量は1日100kgで、森永ミルクヘ出荷している。
 昭和50年より、役場産経課と農業普及員の指導によりハウスイチゴの栽培を始めている。栽培面積は10aで、ハウスビニールを三重にするなどの方法をとり、ハウス保温に努め、12月10日頃から徳島市場へ出荷している。県西部地区でのハウスイチゴの栽培発生の地として評価されるが、栽培農家は3戸と、地域分化がなされなかった。現在、対岸の美馬町にハウスイチゴ栽培農家の広がりがみられるようである。

4 まとめにかえて −貞光町農業のこれからの問題点−

 以上のような分析結果と調査の過程から貞光町農業のこれからの問題点を上げると次のように要約できる。
 1.葉たばこ栽培は、収入も安定した商品生産部門となっているが、他の大きい商品生産部門をもたない限り兼業比重が増大して行くことになる。また、零細な複合経営部門では、他産業対応の中で農業経済が大型化した現在にあって、基幹農家としての成立はありえない。複合部門を大型化する必要がある。考えられるものは、現在ある酪農・ブロイラー・養蚕・イチゴ・栗・ユズなどを含め、冬期そ菜の栽培導入を図ることである。冬期そ菜として、キャベツ栽培が行われ高収益をあげた経験をもつ農家もあるが、たばこ作への影響があるということで取り止めになっている。この点の解消を図り農地の高度利用を推進すべきである。
 2.養蚕専業農家の育成が必要であり、その可能がある。兼業養蚕農家の数が減少し、桑園の他作目への転換が行われる現在において、一部養蚕専業農家が成長していることもあるので、飼育の共同組織化を強化し、農道・耕作道の手直しと舗装などの基盤整備を行う必要がある。一方耕地の流動化に伴なう桑園の拡張を図るなど、思いきった養蚕農家育成策を展開することも考えられる。
 3.現在の蔬菜生産や花卉生産は極めて零細であり、商品生産部門としての意識も低い。蔬菜生産・花卉生産の振興により、土地利用の高度化を図る必要がある。大阪市場への供給や加工用を前提として、農協が集荷と生産指導を担当することが望まれる。また生産地内での組織づくりを行ない、蔬菜営農集団化を行なうことである。
 4.酪農は、山間急傾斜地域に飼養農家があり、専業農家より他部門との複合経営農家が多い。とりわけ山地酪農は、機械化、自給飼料作物栽培の耕作面積に強い制約を受け、規模拡大がされにくいため、良質牛の導入によって生産性を向上させるほか、乳質の改善・管理技術の改善、地域小集団によるクーラーシステムなどの集乳の改善を図る必要がある。
 自給飼料の確保のために飼料作畑の整備や未利用山林の活用を推進すべきであろう。
 ブロイラーについては、葉たばこ・養蚕の補完経営であるため、施設の未整備が目立つ、鶏舎の改善と機械化の促進による省力化で経営の合理化が望まれる。
 5.柴内集落南部の農業開拓事業の計画があるが、早期に完成するよう努力し、パイロット事業の確立を図ることは、貞光町内類似の開発可能地の開拓事業の誘発にもなるので、その推進には全町あげて取り組む必要があろう。その完成時には、町域農業発展を左右する根源となるであろうことが予想される。
 6.昭和60年代後半には、徳島県も高速道路が一部分ではあるけれども完成する予定である。これに対応し、都市からの観光客にダイレクトに結合する農業部門の育成を考えておく必要があると思われる。観光農業としては、柿・栗の観光園、わらび・ぜんまい・うどなどの山菜園が考えられよう。
 本調査にあたり、御指導をいただいた徳島大学教育学部の高木秀樹教授をはじめ、現地調査では貞光町役場の職員各位をはじめ多くの農家の方にお世話になった。厚くお礼申し上げる。
   参考文献
 1.岡本兼佳(1968):東京都、秋川流域の農業地域研究、立正大学文学部論叢。
 2.市川健夫(1966):高冷地の地理学、令文社。
 3.横畠康吉(1973):地方都市域農業の特色―徳島市農業の産地形成について―、地域研究 VOL14-2。
 4.横畠康吉(1974):阿波の北方、上郡地方における農業の地域構造、四国女子大学研究紀要。
 5.貞光町役場(1980):貞光町地域農政特別対策事業推進方策。
 6.貞光町役場(1979):農村総合整備計画意向調査集計表。

(1)平野地区は、中山・胡麻平・家賀道下・家賀道上・長木・平野・広谷の7農業集落から成立している。
(2)川東地区は、岡・大泉宮内・江ノ脇畠枝・柴内・白村の5農業集落から成立している。
(3)端山地区は、三木栃・木屋・横野・宮平・川見・丸井・広瀬・長瀬・猿飼・日浦の10農業集落から成立している。
(4)太田地区は、太田・道満・僧地の3農業集落から成立している。
(5)西山地区は、大坊・引地・浦山の3農業集落から成立している。
(6)市街地区は、駅栄・大北町・南町・東浦・寺町・野口・笹賀・四ツ辻・祗園の9農業集落から成立している。
(7)皆瀬地区は、皆瀬・井折・竹屋敷・宅能・捨子の5集落から成立している。


徳島県立図書館