阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第29号

和食郷における山の神信仰

民俗班 関真由子

はじめに
 山の神は「ヤマノカミサン」と呼ばれ、和食郷では高さ約1m内外の木製の祠である場合が多い。祭神は一応「大山祇神」とされているが、古くはそうでなかったと思われる。全部で9ケ所、各地区別に共同でまつられており、年に1〜2回の祭日には当番の人々によって祭礼が行われる。


 1 和食郷について
 和食郷は鷲敷町のほぼ中央部にあり那賀川添いの山に囲まれた町である。地区別に、マチ(和食)、北地、八幡原南川、田野に分かれており、マチ以外はすべて山の谷あいにある。ほぼ70%が山林地帯で、昭和初期迄は林業が産業の重要な部分を占めており、木挽き、材木の運搬、炭焼きなどの仕事に従事する人が多かった。林業専業の人もいたが、そのほとんどは農業を営むかたわら現金収入の道として山仕事をしていた。しかし、昭和30年代頃より、日本は高度経済成長時代に入り、燃料としての石油が重視されはじめたことから、この和食郷でも林業の主な部分であった薪炭に影響が出はじめた。以来、山への依存度は急速に減りつつある。しかし、かつて山が重要な仕事場であった頃から受け継がれてきた山の神への信仰は、新しい時代の波の中で変化しながら、今も人々の間にその名残りをとどめている。
 なお、和食郷においては氏神として、田野地区には富留戸神社、八幡原地区には八幡神社、北地地区では二区が若宮神社、マチ、南川、北地一区の各地区では、蛭子神社がある。山の神はこうした氏神とは別に、人々の間で信仰の対象とされている。


 2 調査方法
 明治生まれの人、現在林業に従事している人を対象に聞きとり調査を行なった。その内容は、山の神に関する祭日、祭礼、伝承などである。ただし、山の神信仰は全国的なもので、地方によって特色があるということから、質問事項として次のことに注意した。
 a 場所について
  山のどの辺に位置するか
  水とか木とか、他と比べて特徴はあるか
  個人の所有地であるか、など
 b 祠について
  木製の祠以前はどうであったか、など
 c 遷宮について
 d 祭りの当番の決め方
 e 伝承について
  田の神との関連伝承はあるか
  女の神としての伝承はあるか、など
 次の記すのは、各地区別の山の神の信仰状態であるが、ことに祠の数も多く、山への依存度も高い南川地区を中心に述べ、その他の地区については一覧表にした。


 3 南川地区における山の神信仰
 ここは和合郷の中で最も谷が深く、現在も植林、下草刈り、伐採などの山仕事が生活の主な部分を占めている。民家は19戸、谷の入り口附近に集中しており、その奥は約5Kmの谷が続いている。山の神の祠は全部で4ケ所で、すべて南川地区の人々により、共同でまつられている。
 (1)入り口の山の神さん


 家並を抜け、林道を約250m行くと道路の左側、東南向きに高さ約1mの木製の祠がある。前には幅約50cmの用水が流れている。この祠は、この奥にある3ケ所の山の神を統轄しているといわれている。
 (2)四五谷の山の神さん
 さらに林道を約3km、四五谷橋より杉木立の中、支線を約500m行くと、高さ約10mの岩の斜面に細く道が作られ、中程にセメント製の祠がある。南向きで高さは約70cmである。道をはさんで幅約3mの川が流れている。
 (3)山楽荘前の山の神さん
 四五谷橋より林道を約300m、道路の左側、幅約5mの川むこうの山の斜面にセメント製の祠がある。道路より約3mの高さで南西向きである。
 (4)こまるさん


 山楽荘前より女ケ谷に入る支線を約300m、山にむかって登ると標高296mの小丸山の山頂に南東向きのセメント製の祠がある。山頂にあるのは和食郷の中ではここのみで、近くに水が流れていないのも珍しい。
 なお、こうした山の神の祠のある場所については、古くは山全体が入会地だったが、明治初期の農地改革、また戦後の登記のやりなおしで、所有者が明確にされている。しかし、現在もこの場所のみは入会地としての性格が強い。祠周辺の木に関しても山の神の木として、伐採されることもなく生い茂っている。
 b 祭日、祭礼について
  祭日は年に2回、3月20日、9月20日、(昔は旧3月20日、12月20日)に行われており、いずれも「山の神さんのおまつり」と呼ばれている。祭礼については当番がそのすべてをとり行なう。南川地区に限り、他の祭り当番とは別に山の神の当番があり、三軒が一組で毎年順送りになっている。その方法は、前日の夕方に祠の清掃を行い、両脇にある花立てに榊を差し「奉 山神社」の幟をたてる。当日は朝早く、御神酒、おんぶく、いり、こんぶ(当番によって若干違う)などを供える。以前は、地区の人々が次々におまいりをしていたということだが、現在は当番のみである。夕方になると供えたものをさげに行く。夜は地区の人達が会堂に集まって御神酒をいただく。ただし、この日にお大師講も兼ねて行う。3月20日、9月20日ともに同じ行事である。この日は山仕事を休むとされているが現在は守られていない。
 次に、その他の関連事項として、ヤマノクチアケと神踊りをあげる。
 (1)ヤマノクチアケ
 ヤマホメともいい、仕事始めの1月4日(旧も同じ)に行われる。山持ちの人、あるいは山仕事をする人は、この日にイツサガリかナナサガリの御幣を作り、その先端に正月に供えた米、栗、柿などを小さく切って包み、山の入り口や山の神の祠近くの木の枝につるす。以前はこの日に大きな声で山をほめていたが、今は行なわれていない。
 (2)神踊り


 8月15、16日(昔は旧7月15日、16日)に和食郷全体で行われる。昭和30年頃迄は、氏子全員が参加して盛大であったということだが、現在は祭りの当番(南川地区では5軒が1組で、氏神の祭礼と同じ)のみである。これは太鼓をたたきながら、祠や庵、神社をまわるもので、以前は踊りも歌もあったが、今は行われていない。15日は人り口の山の神、庵の順にまわり、16日は秋葉神社、最後に蛭子神社でしめくくりをする。これもかっては他の地区の人々と合流し、歌と踊りを競ったとのことであるが、今はそういうことはない。
 (3)その他
 大きな木を伐採する時、あるいは危険をともなう山仕事の前には、御神酒を供えて安全を祈る。また信仰の厚い人は年末に餅などを供える。しかし一般には前述の行事以外にまつることはない。
 c 遷宮について
  南川地区では、以前はすべて木製の祠であったが、山の奥の3ケ所の祠の腐蝕が激しいため、5年程前にセメント製の祠にかえた。その際の儀式は、山の神の祭日とあわせて行われた。前日に当番が古い祠の清掃をし、当日の朝、地区の人が1戸に1人は必ず参加し、供えものもそれぞれ分担を決めて持ち寄る。内容は、もろぶたに入れた御神酒、塩、水、米、麦、大豆、わかめ、いり、果物、野菜、菓子などと、小さなバケツに入れたオドリウオ(生きている小魚)である。神職によって、古い祠から新しい祠へ御霊移しが行なわれ、地区の代表者が玉串をささげて儀式が終了する。夜には地区の人達が会堂に集まって御神酒をいただく。
  なお、この木製の祠以前の姿がどういうものであったかは判然としない。
 d 伝承について
 (1)四五谷では旧12月20日、3月20日が山の神さんの日にあたり、山に入ってはいけない。それを守らずに山に入った人が、オタフクサンに会って熱病にかかって死んでしまった。
  山に入ったらいけない日に山に入るとオタフクサンがでてくる。それは箕ほどもある大きな顔をしていてニタニタ笑うが、笑われたら最後、熱を出して死んでしまう。それを防ぐ方法としては、出会ったらすぐこちらが笑うことである。
 (2)山楽荘前で、夜畑の番をしていたらオタフクサンがあらわれて火種を貸して欲しいと言う。気味が悪いので火種を投げつけると、山を鳴らしながら帰っていった。
 (3)女ケ谷にはたいそうきれいな女の人がいて、時折り長いキセルを片手に出てきた。
 (4)こまるさんには天狗が住んでいた。


4 マチ、八幡原、北地、田野における山の神信仰


5 和食郷における山の神信仰
 場所については、清流の近く、大きな木の茂る山の入口附近、あるいは山頂と神籠るにふさわしい清浄の地であることが多い。祭日、祭礼については、地区の人々の参加が少なくなったとはいえ当番によって継続され、祠の腐蝕の激しい場所においては前述のとおり遷宮も行われている。また、神踊りという郷全体の大きな行事の際、ほとんどの地区の最初の巡回場所が山の神の祠であるということも、この地の人々にとって山というものが、いかに大切な存在であるかを示すものであろう。ただ全国にみられるオコゼを好む女の神、あるいは農村などに多い去来する神の姿はみられないことから、ここでは単に山を守る霊としての性格のみが強く残されているようである。また、南川地区にみられるオタフクサンの伝承は、普段は生活の糧を与えてくれる山でも、約束を守らなかった者に対して厳しい懲罰を下したということであり、それは時には生命の危険をともなう山とともに生きた人々の山の神に対する畏敬の思いであったのだろう。山にその生活のほとんどを委ねていた記憶をもつお年寄りの口の端にのぼる『山の神さんだけはあんのじょうにおまつりせないかん」という言葉の中に、かつては今よりももっと生々しく生活と関わりながら信仰されていた時があったことを思わざるを得なかった。


 最後に
 この調査にあたって、畑仕事の手を休め、心よく質問に応じて下さった方、また山の奥深くまで山の神の祠へ案内して下さった方、また長期時間にわたって資料集めに御協力下さった方に深く感謝申し上げます。


徳島県立図書館