阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第30号
鴨島町の地質・地形

地学団体研究会吉野川グループ
   細岡秀博(1)・東明省三(2)・

   須鎗和巳(3)・石田啓祐(3)・

   寺戸恒夫(4)・久米嘉明(5)・

   大戸井義美(6)・祖父江勝孝(7)

I はじめに
 鴨島町は吉野川平野の南縁に位置しており、町内の平地〜山麓地には、第三〜第四紀の吉野川の堆積物が分布している(図1)。

今回はこれらの地層の調査を行った(表1、図2参照)。また航空写真と地形図をもとに町内と周辺地域の地形区分を行った(図3)。さらにこれらをもとにして町内の山と川の変遷(地形発達)について考察した(図7)。なお江川の水温変化について若干の考察を行った。


 

II 町内と周辺地域の第三〜第四紀層
 町内ならびに隣接する川島丘陵に分布する地層は表1のように区分される。
 これらの地層のうち、鴨島町内には三波川結晶片岩、森山層、高位段丘礫層、沖積層が分布する。
 三波川結晶片岩:町内南縁部の山地と向麻山、笠松神社付近に分布する。緑色片岩、黒色片岩、点紋片岩等より成る。
 森山層:町内南部の山路・寺谷地域と南西部の敷地・壇ノ原地域〜川島高校東の谷までの70m以下の山麓に分布する。下部の粘土層(森山粘土層)と上部の礫層から成る。森山粘土層は亜炭を伴う湖成堆積物であり、吉野川の後背に堆積したものと考えられる。この粘土層からはトウヒ、バラモミ、モミ、シラビソ、ツガなどの花粉を産し、当時やや寒冷な気候であったと考えられる。礫層の上部は風化が著しく、緑色片岩や砂岩の礫は黄褐色のくされ礫となっている。向原の玉林寺北西200mの地点では、礫の配列は西から東への流れを示す(図4)。

また壇ノ原の土採場では結晶片岩礫に伴って砂岩礫を産することから、これらの礫は南の山地からではなく、吉野川の本流によって運ばれてきたものと考えられる。
 高位段丘礫層:町内西部の敷地奥、壇ノ原付近〜川島丘陵の海抜65〜100mに分布する。厚さ約20mで森山層を不整合におおう(図5、6)。礫は結晶片岩類と砂岩の亜円〜円礫より成り、基質は砂質である。基質のみならず礫も内部まで著しく風化しており、赤褐色を示す。


 中位段丘礫層:川島警察署の東や川島公園付近に見られる。和泉砂岩・結晶片岩・石英脈の亜円礫〜亜角礫が多い。基質は砂であり、礫は内部まで風化しているが、赤色化はうけておらず、むしろ脱色している。また森山粘土の塊を含む。
 新期扇状地磯層:中位段丘礫層を不整合におおう。川島高校、釿原付近に分布する。結晶片岩や石英脈の角礫が多い。基質は砂であり、ほとんど風化していない。
 低位段丘礫層:地表では見られない。川島東保育所の地盤調査のボーリング資料に見られるシルト混りの砂礫層(-3.1〜-8.1m)がこれにあたる。
 沖積統:鴨島町内の平地を広くおおっており。礫混りの砂〜粘土層より成る。


III 地 形
 山地:町内南縁部および向麻山、笠松神社付近で、三波川結晶片岩が分布する。
 山麓地:町内南部および西部の壇ノ原付近で、森山層が分布する。
 高位段丘:海抜65〜100mに断片的な緩斜面として見られ、前述の礫層より成る。かなり開析が進んでいる。
 中位段丘・隆起扇状地:森山層の上に重なるこれらの礫層は複合して川島丘陵を形成する。
 扇状地・自然堤防:町内の平地のうちで、古くから集落のある喜来、北須賀、蛭子、中須賀、宮間、麻植塚、中島、山路、飯尾、中筋などの地域は比高2m程度の自然堤防である。
 旧河道:新開地〜江川、麻名用水〜飯尾川、敷地〜森藤の3地帯を中心に、自然堤防の間をぬって網状に旧河道が発達する。谷底平野より1〜2m低い。


IV 山と川の変遷
 鴨島町内の地形発達は図7のように考えられる。


 森山層下部粘土層堆積期(図7−a):吉野川谷の沈降にともない、町内南部には古森山湖が形成された。
 森山層上部礫層堆積期(図7−b):吉野川の乱流により、古森山湖には和泉砂岩礫を含む礫層およびシルト層が堆積した。
 高位段丘〜中位段丘形成期(図7−c・d):森山層の堆積後、吉野川の乱流と海水面の変動により高位段丘と中位段丘が形成された。
 北岸扇状地成長期(図7−e):阿讃山脈の上昇により北岸に扇状地が発達し、吉野川は南岸を侵食した。固い基盤岩の露出する向麻山や笠松神社付近は侵食をまぬがれ、川島丘陵が形成された。
 低位段丘形成期以後(図7−f):川島丘陵の形成とともに吉野川の流路は町内中央部から北部(笠松神社−向麻山以北)へと移り、縄紋以降は江川の流路を経て現在に至った。


V 江川の水温と水源について
 江川の水温は夏に冷たく冬に温かいことで知られている。1937〜38年の調査によれば、図8のように8月には10℃以下、1〜2月には約20℃であり、気温の周年変化と半年ずれている。

また冬の方が夏より10℃も水温が高いことは、一般の地下水ではあり得ないことであり、通常地下水位が浅い場合は気温とともに変化し、深い場合はほとんど変化しない。したがって、江川の場合には、一般の地下水とは異なり、吉野川の伏流水が湧水しているものと考えられる。前述のように江川は吉野川の旧河道のひとつであり、地下に分布する砂礫層が透水層となって、北西から南東方向へ伏流水が移動することが考えられる。地下水の移動の速さは数mm〜数10m/日であり、いま江川の湧水のある吉野川遊園地から、最短距離にある北西方の吉野川までは500m、この間の伏流水の流速を3m/日とすると、伏流してから湧き出すまでに約170日(5〜6ケ月)かかることになる。このように、夏季に20℃以上に暖められた吉野川の水は半年後の冬に伏流水として江川に達するものと推定される。
 なお江川の水温変化の理由を地温の伝導に求め、地温が地下5m付近に伝わるのに約半年かかるためとする考えがあるが、図9に示すように、地下5m付近での地温の年間変化量は3℃に満たないことから、地温の伝導によって江川の10℃以上に及ぶ年間水温変化を説明することはできない。

 

 文献
細岡秀博(1983)、河岸段丘及び扇状地に見られる地層とその教材化、徳島県教育研修センター研究報告書、P.54〜61.
須鎗和巳、中川衷三、大戸井義美、久米嘉明、近藤和雄、東明省三、寺戸恒夫、日野雄一郎、細井英夫、山口昭典(1965)、徳島県土柱・鴨島―川島地域の第四系、徳島大学芸紀要、15、P.13−23.

 

氏名注

(1)小松島市芝田小学校 (2)教育研修センター (3)徳島大学教養部 (4)阿南工専 (5)神山東中学校 (6)吉野町中学校 (7)脇町高校


徳島県立図書館