阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第36号
土成町の地形・地質と古生物

地学班

  地学団体研究会吉野川グループ
    石田啓祐1)・寺戸恒夫2)・

    森永宏3)・橋本寿夫4)・

    香西武4)・東明省三5)・
    祖父江勝孝6)・大戸井義美6)・  

    久米嘉明7)

1.はじめに
 板野郡土成町は徳島県の北部に位置する。町内の中・北部は阿讃山脈に属しており、上部白亜系の和泉層群堆積岩類を浸食して、吉野川支流の宮川内谷川が町内中央部を南流している。町内の南部には、宮川内谷川および九頭宇谷川の扇状地ならびに吉野川北岸の沖積平野が広がる。阿讃山脈南麓の丘陵地帯には、段丘礫層が分布し、また中央構造線に派生する断層群によって破砕された和泉層群堆積岩類が分布しており、特異な剪断変形構造や構造地形が発達する。
 今回の総合学術調査で、地学班は、土成町の1)地形区分、2)阿讃山脈を形成する和泉層群の岩相層序区分、3)和泉層群の微化石とマクロ化石による年代決定、4)中央構造線断層系の変形構造に関する調査を行ない、併せて地形災害に関する考察を行なったので、その概要を報告する。

II.土成町の地形
1.地形概説
 土成町の地形は、山地と扇状地に大別できる。阿讃山脈南東部を占める山地は、町の北部と中部に広がるほか、東西で南に張り出し、東に引野丘陵(仮称)、西に切幡(又は切幡分離)丘陵を形成している。地形図上の計測では、町面積55.61平方キロメートルのうち、山地が72%、扇状地が大部分の平地が28%である(図1)。
(1)山地
 山地の地形は、阿讃山脈を構成する和泉層群の構造(地質の項参照)に調和的である。
すなわち、東に開く舟底型を示し、町北部〜中部北では南東に、中部南では東に、山地南端の一部では北東に地層が傾斜しており、向斜軸の方向は中部南を西南西〜東北東にとる。故に、山地の主要稜線(尾根筋)は、北北東から南南西に近い方向をとり、その間を流れる宮川内谷川も、平間北方の相婦の谷から平地への開口部宮川内までの間は、この方向に順応して谷を発達させている。そしてこの谷筋では、右(西)岸の東南東あるいは東向きの山腹斜面が30°内外の傾斜をとるのに対して、左(東)岸側の西北西あるいは西向きの傾斜は、40°〜50°の急傾斜となっている。このような非対称の山腹傾斜は、宮川内から国道318号線を北上すると、車窓からの観察によって確かめることができる。基盤の地質構造が地形に反映した結果を一見して確認できるのである。この傾向は、山地内の谷の方向と長さの関係にも表われ、東流する谷が主力をなし、西流する谷は南端の丘陵との境の谷を除くと、いずれも短小である。しかし、上畑から御所へ、太田尾から平間へと東流する谷は、北北東〜南南西の地質構造を横断することになり、谷壁は40°以上の部分の傾斜を示す所が多く、なかには60°近い急斜面を形成する所がある。
 地質構造の影響が山地の浸食にもっともよく表われているのが、浦池北西の九頭宇から開拓にかけての緩斜面で、軸部は中央を東西に近い方向で通っているので、九頭宇では南東向きに、開拓北部では東向きに、開拓南部では北東向きに緩斜面が広がり、耕作ならびに集落の適地となっている。北方の清延・太田尾・上畑の旧集落も同様な緩斜面を利用したものである。しかし、このような斜面は、地表の傾斜が地層の傾斜に従っているため、表層が層すべりを起こしやすく災害に結びつくおそれがある。稜線近くでは同様な原因により大規模な地塊の移動が過去に起こっており、その場所を空中写真で確認できる。図1の記号2で示した場所がそれである。
 引野丘陵と切幡丘陵は、上記の山地とは異質な面が多い。いずれも丘陵の北端に西南西〜東北東方向の谷があり、北の山地から分離している。この谷には中央構造線の断層系の一部が通っており、近い地質時代に活動した断層の弱線を浸食の結果形成されたものである。丘陵内には、この谷に平行した谷地形を1〜2条有している。山王子南の丘は、本来引野丘陵あるいは北方の山地に連続していたものが、断層活動と浸食のため分離したものであろう。切幡丘陵には引野丘陵に見出せない南北方向の谷による丘陵の分断がある。その北端は風隙状をなしている。
(2)扇状地
 土成町の平地は、イコール扇状地と言ってもよいほどである。この扇状地は、東の宮川内谷川扇状地と西の九頭宇谷川扇状地が主体をなし、両者が接して合流扇状地を形成している。両者の境界は熊谷寺東の岡の山から南に引いた線のあたりで、寺のすぐ東の谷から南下する小河川が天井川となってその近くを通っている。この合流扇状地は、県内の扇状地中では最大で面積は約14平方キロメートル、平均勾配1°弱である。土成町域は扇頂並びに扇央を占め、全体の6〜7割に当たる。

1:三角点 2:滑落崖と崩積地 3:ため池と貯水地 4:川とおもな谷
5:天井川 6:崖    7:段丘面と段丘崖    8:おもな崩壊地
9:旧河道 10:扇状地と傾斜方向  11:地溝状地  12:山麓線
13:町境

 宮川内谷川扇状地は、新旧扇状地からなる合成(複合)扇状地である。古い扇状地は河流の側方浸食により段丘化している。吉田付近の国道から西を望めば、数段の段丘面を分ける崖を見ることができる。右(南西)岸の段丘面は少なくとも5段あり、最上位を中位段丘、下位の3段を低位段丘とする点は、岡田(1970)、須鎗・阿子島(1978)ともに共通している。上位から2番目の御所神社のある面については、岡田(1977)は、はじめ市場礫層のつくる低位段丘面としていたのを中位段丘面に改めている。最上位面と御所神社のある段丘面の間には、南北方向の直線状の小崖があり、これは段丘崖ではなく断層崖と考えられている。根拠は、この崖の北端あたりの和泉層群の泥岩勝ち互層中に幅1.5mの破砕帯をもった断層(N20°E、30°NW)が見出された(須鎗・阿子島、1978)ことによる。左(北東)岸の段丘は、宮川内(中村)集落のある面が低位段丘で、上部の果樹園のある面が中位段丘である。いずれの段丘も河成礫層が散見される。中位段丘の礫は、明褐色を示す点や風化の状況により、中位段丘面でも比較的下位であることは岡田(1970)の指摘する通りである。現在の宮川内谷川の氾濫原は、宮川内集落付近では河床とその周辺のわずかな部分に限定され、扇状地面は谷床から数mあるいは10m近い崖の上に広がる。氾濫原として洪水被災の危険性のある地域は、県道船戸切幡上板線の御所大橋より下流の沿岸で、このあたりから左右両岸に旧河道を認めることができる。
 九頭宇谷川扇状地は、浦池集落付近まで明瞭な扇状地を示す。その東部には樫原谷および鈴川谷の扇状地が山麓に展開する。ことに鈴川谷の吹き出しは強く、法林寺集落のすぐ東あたりまで扇端がおよんでおり、見事な形態は扇央部を横断する北池のある地溝状地と共に注目に値する。九頭宇谷川扇状地は、中流により下流では扇状地としての性格を弱め、天井川としての印象が強くなる。扇状地の末端は中郡あたりで、吉野川本流との合流点まで数100mの間は、本流の氾濫原である。
 図2に上記合流扇状地の等地下水位曲線図を示す。この図は昭和38(1963)年3月末の、水田冠水以前で、しかも調査前1週間ほど降雨のない時期の使用中の井戸あるいは野井戸の、地表から水面までの深さ(地下水位)を100地点近く測定して作成したものである。全体として扇央部の水位が低い扇状地の一般的特性を知ることができる。水位が最も低いのは、県立阿波高校付近である。他に法輪寺南方、樫原と法林寺の中間付近および土成中学校西がある。樫原と法林寺の間は鈴川谷扇状地、土成中学校西は近くの崖の存在が影響しているものと考えられる。扇央よりはむしろ扇端に近い阿波高校付近で地下水位が最も低いのは、吉野川による扇端部の側方浸食による結果であろう。九頭宇谷川の中流以南と熊谷寺から郡にかけては、明治29(1896)年測図の陸地測量部発行5万分の1地形図上で、既に水田化しており、等地下水位曲線4m以浅の区域とほぼ一致している。法輪寺南方の低い地下水位については、原因不明である。
 

2.特異地形
 土成町内には、中央構造線と関連していると考えられる変動地形が各所に見出される。とくに注目されるのが、土成町役場北西にある北池から西にのびる地溝状地(通称カミガクボ)と、浦池の池から東にのびる地溝状地である。前者に注目したのは、筆者の記憶では、昭和41(1966)年4月の都立大村田貞蔵教授の日本地理学会春季大会での発表が最初である(村田、1966)。「その小規模と明瞭さは特筆に値する」と土成扇状地(詳しくいうと鈴川谷扇状地)を例として挙げている。空中写真による地形判読の初期にあたり、観察した専門家の驚嘆がうかがわれる。北池は長さ(東西)約150m、幅約80mで、北側の崖の比高は約6m、南側のそれは約3mである。カミガクボが注目されるのは、見事な形態を示す鈴川谷扇状地の扇央部が、東西方向に明確に直線状に凹んでいる点で、南側の崖の長さは約800mである。周辺の状況から東西方向の2本の断層にはさまれた部分が、陥没した結果生じた地形と解釈されている。岡田(1970)は、「San Andreas 断層系に属する横ずれ活断層に沿って、各所で知られているtrenchの好例であり、断層破砕帯の開裂による陥没に起因する」と考えている。北池の東側は、熊谷寺東の谷からの押出しによって埋積したように見えるが、山門の南がやや急斜する点やカミガクボの幅が東ほど狭くなっている点から、南北の断層崖がここで収れんしたことも考えられる。山門前急斜地の東方延長とみられる御所神社西南西約450mの水田横の崖には、幅数mの破砕帯の露頭がある。
 浦池地溝状地は長さ(東西)約300m、幅約70mで、崖の比高は南北とも1m内外である。西端は池の東側突出部に続いている。ここも九頭宇谷川扇状地を南北に分断しているようにみえる。扇状地面の開析状況より、両地溝状地は共に完新世の形成と考える。
 カミガクボと浦池地溝状地の関係については、九頭宇谷川に沿う北北西〜南南東方向の断層の存在を推定(須鎗・阿子島、1978)し、本来同一のものが横ずれによりくい違った感を抱かせる見解がある。空中写真による判読では、カミガクボの西への続きは、諏訪神社北西付近で崖の消滅により不明となるが、延長部の浦池集落南端付近は東西方向に幾分低くなっているようにみえる。一方、浦池地溝状地の東端は、九頭字谷川右岸近くで消滅している。しかし、左岸の鈴川谷扇状地末端近くまで不規則な形ながら低地が認められる。
カミガクボの西への延長が切幡丘陵の北端をかすめる点なども加えて、南北性の断層の存在には疑問がある。
 変動地形として注目されるものは、他に金地〜浦池地域、御所神社〜土成中学校地域、山王子南〜引野丘陵地域に存在する。金地には金清谷の源流部が浦池(池名)北西で、下柿木谷川源流部が広域農道峠のすぐ東で東部を消失し、空谷(風隙)で終っている。前述の切幡丘陵を分断する南北性の谷の谷頭同様、浦池(地名)地域の急速な浸食あるいは消滅が推察できる。峠東方約600mの広域農道北側には、頂上が平坦な畑になっている孤立丘がある。周辺の深い谷と共に、現在も著しい浸食が断層破砕帯に沿って進行中であることを物語っている。御所神社〜土成中学校地域は、東西性の断層に加えて南北性の断層がある。東西方向の崖はいずれも断層崖と考えられているが、土成中学校すぐ南の崖はその成因について触れられていないので今後の解明が期待される。山王子付近の丘陵を含む複雑な地形も、断層運動と河川の浸食作用の複合した結果生じたと考えられる。

3.地形災害
 土成町の山地の地形災害には、素因として2つの要因が考えられ、一部に重複をみるが、多くは場所により要因を異にしている。第1は、中央構造線に関連するもので、断層破砕帯あるいはそれに近い地域の岩盤の弱さに原因がある。この結果生ずる災害が、町の中部以南、山地の南端付近で多発する崩壊である。『土成町史』にある、明治32(1899)年9月8日の鈴川山、大正初期の岡の山東斜面の大崩壊がこれにあたる。また昭和26(1951)年に樫原奥地に大きな亀裂が見出され、崩壊防止のための工事が行なわれている。これに似た災害跡は、開拓の緩斜面末端や山王子周辺の山地に見出される。過去に大災害のあった鈴川山には、鈴川谷の源流から中流にかけて相当厚い斜面堆積物をのせているとみられる山腹が3カ所存在し、浸食の進行状況により大崩壊が発生するおそれがあるので、砂防ダムの過信は禁物である。このほか、引野丘陵と切幡丘陵は、山地が全体として破砕されており、ことに後者は堅硬な岩盤が認められないので、傾斜が中小崩壊を生じやすい状況にある。故に山腹斜面の無計画な耕地化や道路の建設、山麓に接近した住宅地の建設は慎しむ必要がある。
 山地災害の第2の要因は、地質構造に起因するものである。図1の山地に分布する滑落崖と崩積地が対をなす地形は、過去における大規模な地すべりあるいは崩壊の跡である。崩積地の末端は崩積層そのものが未固結の状態にあるので、二次的な移動を起こしやすく、地すべりや崩壊の候補地となる。九頭宇北西の三角点付近や太田尾北西、山王子北方にみる上下2段の地すべり地形は、このような結果形成したものと考える。山頂付近の大規模な地すべり地形として注目されるのは、宮川内ダム東方の606.5m三角点直下の南東向き斜面で、滑落崖下に三日月型の凹地が4カ所存在する。鈴川谷源流部、山王子北方と共に、地震や豪雨により相当大きな末端の崩壊が発生する可能性がある。山地内ではこの他急斜面での落石が主な災害である。
 宮川内谷川は相当深く下刻しているのと、段丘上に住居が散在するので、たらいうどんの食堂のように、とくに谷底に立地しない限り、上中流では河川災害の危険性は少ない。上藤原東の御所大橋より下流では、氾濫原が両岸に広がっており、河床勾配も相当あるので、洪水時には注意を要する。扇状地面上の災害は、風害を除くと天井川の欠壊が可能性の多い災害である。河道が局限されているので、流量を規制する源流域の山林育成が肝要と考える。

III.上部白亜系和泉層群
 阿讃山脈に分布する和泉層群は南側に分布する三波川結晶片岩類と中央構造線で接し、香川県白鳥町で北側に分布する領家花こう岩類を不整合におおう。本町では中央構造線は宮川内谷川複合扇状地の礫層におおわれており、結晶片岩類との関係は見ることができない(図3)。

 本町の和泉層群は東西軸で東に開いた向斜構造を形成しており、向斜軸を中心とする地域(中軸部)およびその南翼部にわけることができる。
 中軸部には、主として成層砂岩および砂岩勝ち互層が分布し、凝灰岩質岩が2層含まれる。また、成層砂岩は礫岩をレンズ状または層状にはさむ。
 南部では、泥岩および泥岩勝ち互層が分布し、中軸部の成層砂岩および砂岩勝ち互層中に指交状に尖滅する。
 中軸部に見られる向斜構造の向斜軸は東西方向にのび、東に20〜30°傾斜している。中軸部における向斜軸の北側では、走向N30〜50°E、傾斜20〜40°Sである。南側では、走向N10〜50°W、傾斜20〜40°Nである。
 南部では、走向N40°W〜N50°E、傾斜は最大30°N〜30°Sである。中央構造線に並行する断層がある。
1.層序
 本調査地域には、凝灰岩質砂岩が2層はさまれ、連続性がよく鍵層となる。これを下位よりT1、T2、とよび、この凝灰岩質砂岩をもとに3累層に区分した(図3,4)。T1より下位を御所累層、T1の下限からT2の下限までを川股累層、T2より上位を泉谷累層とした。(図5.森永・奥村、1988)

ア.凝灰岩質砂岩
 凝灰岩質砂岩はみかけ上ほぼ同じ岩相を呈し、層厚は最高40mに達する。凝灰岩質砂岩は凝灰岩部分と砂が卓越する凝灰岩質砂岩の部分にわけることができる。凝灰岩質砂岩の部分は厚さ0.3〜3mの凝灰岩の部分を数層はさむ。凝灰岩は3〜20cmの厚さで成層し、緑白色、珪質である。細粒で、図6に示すような長径0.5〜3cmのパッチ状の火山噴出物をふくむ。火山噴出物は濃緑色で流状組織を呈し、流紋岩質である。
 凝灰岩質砂岩は10cm〜1mの厚さで成層し、灰緑色である。細粒〜粗粒で平行ラミナが発達し、凝灰岩と同様の火山噴出物をふくむ。

 各凝灰岩質砂岩は次の通りである。
T1:〔分布〕山王子の北東500m、見坂の採石場、平間、相婦の東750m、引田町東谷に続く。
  〔層厚〕 見坂および山王子で20m、相婦で30m。
  〔鉱物組成〕 石英(14%)、長石(39%)、その他の鉱物(1%)、基質(44%)、岩片(2%)である。その他の鉱物は緑泥石化しており、種類は判定できない。融食形の石英は石英全体の14%、融食形の長石は長石全体の5%である。岩片が少なく、長石が多い。
T2:〔分布〕 山王子の北東1.5km、平間の東1km、上板町北泉谷川上流に続く。
  〔層厚〕 山王子で10m。
  〔鉱物組成〕 石英(12%)、長石(21%)、その他の鉱物(2%)、基質(53%)、岩片(12%)である。融食形の石英は石英全体の10%、融食形の長石は長石全体の4%である。融食形の石英が少ない。
イ.岩 相
 各累相の岩相は礫岩、成層砂岩、砂岩勝ち互層、砂岩泥岩等量互層、泥岩勝ち互層、泥岩、凝灰岩質砂岩にわけることができる。
 礫岩は成層砂岩中に厚さ0.5〜30mでレンズ状または層状にはさまれる(図7)。礫岩中の礫は、pebble〜cobble の円礫が多く、まれに boulder がある。円磨度は0.6前後である。礫種は石英ハン岩、流紋岩、溶結凝灰岩、チャートなどが多く、砂岩、花こう岩もある。基質は中粒〜粗粒砂岩である。
 成層砂岩は厚さ20〜300cmの砂岩と厚さ3〜30cmの泥岩の互層である。砂岩は中粒〜粗粒で灰青色である。級化、平行葉理などの堆積構造が発達し、底面には、flute cast(図8)、groove cast、load cast、生痕化石が見られる。砂岩勝ち互層は厚さ10〜50cmの砂岩と厚さ5〜20cmの泥岩の互層である。互層中の砂岩は級化などの堆積構造が発達し、底面には、flute cast、groove cast、生痕化石が見られる。

 

 砂岩泥岩等量互層は厚さ10〜50cmの砂岩と厚さ10〜50cmの泥岩の互層である。互層中の砂岩は細粒〜中粒で灰青色である。級化構造が発達し、底面には、flute cast、grrove cast、生痕化石が見られる。
 泥岩勝ち互層は厚さ3〜20cmの砂岩と厚さ10〜50cmの泥岩の互層である。この互層中の砂岩は細粒である。砂岩の底面や泥岩中には生痕化石がみられる。泥岩は厚さ10〜50cmで成層し、暗灰色である。厚さ数cm〜10cmのシルト〜細粒の砂岩をはさむ。
 各累層は次の通りである。
1  御所累層
 土成町平間宮川内ダム周辺の中軸部では、主として成層砂岩である。成層砂岩は厚さ0.5〜2mの礫岩をレンズ状または層状にはさむ。礫岩は相婦の北東750m付近、相婦、平間、見坂で見られる。相婦から相坂にかけて厚さ30〜50mの泥岩をはさむ。本累相の岩相は側方への変化がはげしく、南部では、中軸部の成層砂岩に泥岩および泥岩勝ち互層がはさまれ、宮川内から山王子付近では指交状を呈する。中軸部では、走向N20〜50°E、傾斜20〜30°Sである。南部では、走向N10〜50°W、傾斜10〜40°Nである。
 見坂付近を軸とする向斜構造がある。南部では、落差数mの小断層や1m前後の破砕帯を有する断層が発達する。宮川内の東700mには、スランプ構造が見られる。
2  川股累層
 山王子の北東1.2km、平間の東1kmに分布する川股累層は、主として成層砂岩である。本累層の成層砂岩には礫岩は見られない。層厚は330m〜450mである。中軸部では、走向N20〜50°E、傾斜10〜40°Sである。南部では、走向N0〜40°W、傾斜20〜50°Nである。見坂の東700mを軸とする向斜構造がある。
3  泉谷累層
 御所カントリークラブゴルフ場の北に分布する本累層は、成層砂岩が多く、泥岩および泥岩勝ち互層をはさむ。礫岩は見られない。
 中軸部では、走向N10〜40°E、傾斜20〜40°Sである。南部では、走向N0〜30°W、傾斜20〜30°Sである。
2.地質構造
 本調査地域では、最も南を中央構造線が通るが、宮川内谷川扇状地礫層におおわれている。その北には、中央構造線に派生する断層が発達している。その断層は林、山王子、山分、日吉などで破砕帯が見られる。中央構造線については次の項でのべる。中軸部には向斜構造があり、軸跡は上板町北泉谷川上流(和泉寺の北1km)−見坂−九頭宇を通る。この向斜軸は走向N80°Eで東に20°〜30°プランジしており、向斜軸の北翼は、走向N30〜50°E、傾斜20〜40°Sで、南翼は、走向N10〜50°W、傾斜20〜40°Nである。
3.古流向
 本調査地域の成層砂岩および砂岩勝ち互層には、各種の流痕がある。流痕は flute cast が最も多く、groove cast,current crecent cast,bounce cast もある。御所累層で18個測定した結果、古流向は主として東→西ないし、東北東→西南西の方向を示す(図9)。

このことから一部の粗粒な堆積物は側方流として北から供給された可能性があるが、ほとんどの堆積物は東北東方向から軸流によって供給されたものであると考える(図10)。

 流痕を有する砂岩の厚さは20cm以上のものが多く、その底面の砂は粗流である。まれに、流痕が礫岩の底面に見られることもある。流痕は泥岩勝ち互層や砂岩泥岩等量互層には、あまり見られず、成層砂岩、砂岩勝ち互層に多い。
 このことから流痕を生じるのは turbidity current に起因しており、current の流速が減少しはじめ、粒子のあらいものが堆積しはじめた時期、すなわち、turbidite の上流の部分であると考えられる。
4.堆積盆の変化
 和泉層群は領家と三波川帯とにはさまれた細長い地域に分布する。その構造は比較的単調で向斜軸が東に傾斜する向斜構造がある。須鎗(1966、1968)は阿讃山脈の和泉層群が岩相分布、地域構造、化石などから、東ほど上位の地層が露出し、積算層厚 50,000m になるとした。そして、100年に一度の割合で turbidity current がおこり、1,250万年で厚さ 50,000m の堆積物が北東方向から供給され得ると試算した。西村・飯島・歌田(1980)は堆積盆の解析をし、阿讃山脈中部では、層厚 4,300m の堆積物が現存し、かつてその上に層厚 4,300m の堆積物があったと考えた。和泉層群の堆積物は東部への海進につれて、次々と overlap の形で累重したと報告した。西村(1984)は四国西部の和泉層群の堆積盆が、北には現在の不整合面よりやや北方まで、南には三波川帯をこえて広がっていたと解釈した。
1 和泉層群が北部では、層厚がうすくなり、中軸部の成層砂岩が泥岩にかわり、南部でも、成層砂岩が泥岩および泥岩勝ち互層にかわる。Bouma(1962)の turbidite の堆積モデルによると turbidite の下流および周辺部は泥岩が多くなることから、北部および南部は turbidity current の下流ないし、周辺部である。
2 古流向から堆積物の供給源は、東北東方向に求められる。礫岩の礫種は溶結凝灰岩、石英ハン岩、流紋岩が多い。また、凝灰質物質の供給源は流紋岩質ないし石英安山岩質である。山田ほか(1987)は淡路島南部および大阪府の和泉山脈北麓に分布する泉南層群が主として流紋岩ないし流紋岩質溶結凝灰岩からなり、生成されたのは白亜紀後期(カンパニアン期)であるとした。以上のことから、凝灰質物質および一部の礫の供給源は泉南層群である。
 これらのことから和泉層群の堆積盆の様子は、堆積物が主として軸流である turbidity current によって東北東方向の酸性火山活動をともなう地域から供給され、西から東へと将棋倒し構造のように次々と overlap の形で堆積したと考えられる(図10)。
 西村(1976)によると和泉砂岩の構成物質は三波川帯からは供給されなかった。また、四国東部の三波川帯の南には和泉層群と同時代の白亜系が堆積していることから、南では、三波川帯は陸化しておらず、地表にさえ出現していなかった可能性がある。北では、領家帯および泉南層群の陸地があり、堆積物を供給したと考えられる。

IV.和泉層群の微化石とマクロ化石
 今回の調査で、町内の阿讃山脈に分布する和泉層群堆積岩類の4地点(Locs.2,5,6,11)からアンモナイト、二枚貝、サメの歯等のマクロ化石を、また6地点(Locs.1,2,3,4,10,11)から放散虫をはじめとする微化石を検出した。なお筆者のひとり森永は6地点(Locs.7−9,12−14)からコダイアマモ(Archaeozostera)を検出した。
 以下に各地点から検出した化石名を記述する。
[Loc.1] 秋月谷最上流(金地南)の泥質岩
 放散虫:Pseudoaulophacus sp.
[Loc.2] 宮川内谷川上流、藤ケ内の砂質泥岩
 二枚貝:Ezonuculana mactreaformis obsoleta Tashiro, Ezonuculana sp., Myrtea angularis Tashiro
 放散虫:Archaeodictyomitra lamellicostata Foreman, A. sp.
[Loc.3] 宮川内谷川の宮川内南方対岸の泥岩
 放散虫:Dictyomitra densicostata Pessagno, Archaeodictyometra sp.
[Loc.4] 山分北東400mの砂質泥岩
 放散虫:Amphipyndax stocki (Campbell & Clark), A. aff. tylotus Foreman, Stichomitra aff. asymbatos Foreman
[Loc.5] 宮川内北方の宮川内谷川河床の砂質泥岩
 二枚貝:Nucula(?) sp.
[Loc.6] 相婦谷上流の砂岩
 二枚貝:Crassostera sp.
[Loc. 10] 林北東500mの林道入口の泥質岩
 放散虫:Amphipyndax stocki (Campbell & Clark), Archaeodictyomitra tiara Campbell & Clark, Cryptamphorella conara (Foreman), Archaeospongoprunum salumi Pessagno
[Loc. 11] 見坂東岸の採石場
 サメの歯:Hexanchus sp.
 アンモナイト:Polyptychoceras sp.
 二枚貝:Ezonuculana mactreaformis obsoleta Tashiro, Ezonuculana sp.
 放散虫:Amphipyndax tylotus Foreman, A. pseudoconulus (Pessagno), A. aff. pseudoconulus (Pessagno), A. plosious Foreman, A. stocki (Campbell & Clark), A. sp., Dictyomitra koslovae Foreman, D. multicostata Zittel, Dictyometra nap pensis Pessagno, D. sp., Archaeodictyomitra tiara Campbell & Clark, A. cf. slit eri Pessagno, Stichomitra livermarensis Campbell & Clark, S. campi Campbell & Clark, Bisphaerocephalina(?) amazon (Foreman), Archaeospongoprunum salumi Pessagno, A. sp.
 検出された二枚貝は全て離弁状態で産出し異地性を示す。しかしながら、これらの二枚貝はやや深めの泥底に棲む貝であると考えられており、また摩滅の程度も弱いことから考えると、生息地からさほど遠くないのかもしれない。一方 Ostrea (Crassostera,カキのなかま)は汽水域に生息する二枚貝であり、表面は完全に摩滅し破片化している。このことは Ostrea を含む堆積物が汽水域からのものであることを示す。M. angulicus, Ezonuc ulana mactreaformis obsoleta は九州の姫ノ浦層群から記載されたものであり、その時代は白亜紀後期末のカンパニアン後期とされている。また、検出された放散虫は、いずれも山崎(1987)の、Amphipyndax tylotus 群集帯を代表するものであり、その年代は、二枚貝と同じ、カンパニアン期後期と考えられる。

V.中央構造線(MTL)と関連断層
 町内南部の扇状地の地下および丘陵地帯には、中央構造線(Median Tectnic Line:MTL)とこれに関連した断層群が通っている。MTLは西南日本を北側の内帯と南側の外帯に2分する断層で、長野県諏訪湖南方から、伊勢湾を経て、紀伊半島紀ノ川沿いから四国、九州に至る。四国東部吉野川流域の中央構造線に関しては、岡田(1970)、中野ほか(1973)、須鎗・阿子島(1978)、中川(1981)をはじめとする研究があり、多くの断層露頭が報告されている。また断層運動に起因する構造形成に関しては、走向方向東西ずれ運動に起因する考え(岡田、1970)と阿讃山脈の相対的上昇に起因する考え(須鎗・阿子島、1978)とがある。
 今回、土成町の断層露頭とその変形構造および破砕の度合いに関する調査を行なった。和泉層群堆積岩類の破砕の度合いに関しては、次に示すD1〜D4の4段に区分し、その分布を調査した。
[D1] 露頭内に小断層があっても、砂岩・泥岩とも地層面が破壊されることはなく、地層の連続および堆積構造が明瞭に保存されている。
[D2] 剪断劈開がやや発達し、砂岩層はテクトニックレンズやプーディン化し、泥岩層には砂岩の変形に応じた流動やダクティル剪断がある程度見られるが、露頭全体に地層の連続の方向性が残っている。
[D3] 剪断劈開が露頭全体に発達し、砂岩層は小断層によってレンズ型に分断・分離され、泥岩層はダクティル剪断によって地層面とは別の面構造を形成しており、地層面をはじめとする堆積構造は全く失われている。
[D4] 剪断劈開が露頭全体に発達し、劈開に沿ってローモンタイト等の脈が成長している。露頭によっては、全体が幅広く破砕され、砂岩・泥岩ともにグージ化し、砂岩等の小ブロックの端が剪断劈開の方向に延びた ductile shear tail を形成する場合、あるいは破砕帯幅が数 cm〜数 10cm の小規模断層が数 m〜10数 m 程度の間隔で配列し、低角で北に傾いた履瓦構造を形成する場合がみられる。またゲージ中に発達する断層に伴って、結晶片岩起源のグージや岩塊を伴うこともある。
 このような基準によれば、破砕度D4の分布範囲は、土成町では、丘陵部最南麓の南北幅 500m 程度の範囲内に限られる(図3)。北岸用水路の切幡トンネルでも同様の破砕帯の分布が知られている。等地域では、MTL は丘陵地帯すぐ南方の扇状地礫層の下を通ると考えられており、これに近いほど破砕度が増加するといえる。
 町内の MTL 関連の断層は、図1に示すように、2つのタイプに分けられる。ひとつのタイプは、町内の丘陵地帯最南部に位置するもので、低角度北傾斜の衝上性断層群により特徴づけられ、上記D4の破砕地帯の南部と一致する。代表的な露頭は、土成町林北方、秋月谷下流(図11、12)およびその東の谷(日吉)入口付近に見られる。また破砕度D4の地帯内で低角度断層群の北部には高角度で東西性の断層があり、東隣の板野町引野では、これに伴って、三波川結晶片岩起源のグージや黒色片岩塊が挟在する。町内でも土成小学校北方で、同様の報告がある(中野ほか、1973)。

 

 もうひとつのタイプはこれより北方 1.5km の範囲にわたって、和泉層群堆積岩類に発達する断層群で、右雁行で特徴づけられる。個々の断層は、東北東−西南西走向で、延長が1km〜3km 程度と考えられ、それが 200m〜500m の間隔で右雁行する。断層はいずれも垂直に近い高角度で傾斜し、破砕帯の幅は数 m 程度である。断層の露頭は、市場町金清谷−柿木谷上流から土成町金地−浦池−山分−山王子を経て、板野町御所カントリークラブに至る地帯に位置する。この断層分布地帯には、浦池や西原北方の溜め池を伴う凹地形(図13)、金地の孤立丘、山王子および市場町金清谷−柿木谷川上流間のケルンバットなどの断層地形が発達する。また雁行断層間には小断層が発達し、秋月谷上流では、北西−南東走向で、北落ちの正断層となっている(図14)。

 

 これら2つのタイプの断層群は、上述のように特徴を異にしている。これらの成因について、前者の低角度覆瓦状断層系は、1)南北方向の短縮に伴う圧縮応力場での産物と考えられ、2)破砕度の最も高い地帯と一致すること、3)結晶片岩のグージが伴うことから、MTL 主部での衝上運動に起因すると考えられる。
 一方、後者のような雁行断層群は、図15のように、非対称剪断運動により形成されることが古くから知られている(Johnson, 1930)。また剪断応力のセンスと雁行の方向には、図16に示すように4通りの関係がある(Gamond, 1987)。当地域では、右雁行であることから、それらのうちの RS/LL か RS/RL のいずれかとなる。さらに当地域には、上述のように、雁行断層間に副次的な正断層や溜め池に代表される凹地形が発達することから、各雁行断層間の bridge は展張応力場にあることになり、RS/LL ではなく RS/RL(右雁行/右横ずれ)に限定される。

 

 これらの構造形成が一連のものであるとすると、阿讃山脈を形成する和泉層群堆積岩類が、MTL を隔てて南側の三波川帯結晶片岩類に対して、右横ずれ成分を伴いながら衝上したことになる。
 なお雁行断層分布地帯北方の樫原(図17)および南方の秋月谷では、和泉層群砂岩優勢互層中に duplex 構造が発達する。Duplex 構造の形成過程は Boyer & Elliott(1982)により解明されており(図18)、その形態から、上盤が西から東へ衝上したと判断できる。同時に、樫原の露頭では、duplex 構造と直交する南北断面に、上盤が北から南へ衝上したことを示す剪断劈開が発達する(図19)。

 

VI.まとめ
 地学班は土成町内の、1)地形区分、2)阿讃山脈を形成する和泉層群の岩相層序区分と微化石・マクロ化石による年代決定、3)中央構造線断層の変形構造に関する調査結果の概要を報告し、地形災害について考察した。
 なお本稿をまとめるにあたって、第II章を寺戸、第III章を森永、第IV章のマクロ化石を香西、放散虫化石を橋本、第V章を石田が担当した。
謝辞 本調査報告を行なうにあたり、吉野川北岸用水路の地質データを提供下さいました中国四国農政局吉野川北岸農業水利事業所の各位、ならびに和泉層群のマクロ化石標本を提供下さった徳島市鮎喰町の鎌田誠一氏に厚くお礼申し上げます。

 文  献
阿子島 功・他5名,1979:市場とその周辺の中央構造線の活断層運動,阿波学会・徳島県立図書館紀要,no.25, p.165-176.
Boyer, S. E. and Elliott, D., 1982:Thrust systems. Ammerican Ass. Petrol. Geol. Bull., vol.66, no.9, p.1196-1230.
Gamond, J. F., 1987:Bridge structures as sense of displacement criteria in brittle fault zones. Jour. Structural Geol., vol.9, no.5/6, p.609-620.
Johnson, D. W., 1930:"Geomorphologic aspects of rift valleys." International Geol. Congr. 15th, South Africa, 1929,Compt. Rend., vol.2, p.354-373.
森永 宏・奥村 清,1988:阿讃山脈東部板野−引田地域の和泉層群.地学雑誌,vol.97, no.7. p.10-21.
村田貞蔵,1966:四国における中央構造線に沿う新期断層(講演要旨).地理学評論,vol.39, p.367-368.
中野光雄・槙本五郎・中川 典,1973:徳島県阿波郡市場町切幡・観音付近の“中央構造線”.p.191-195,杉山隆二編「中央構造線」,東海大学出版会.
西村年晴,1984:四国西部の上部白亜系和泉層群の堆積盆解析.地質学雑誌,vol.90, p.157-174.
西村年晴・飯島 東・歌田 実,1984:四国・淡路島の和泉層群の沸石続成帯と堆積盆解析.地質学雑誌,vol.86, p.341-351.
岡田篤正,1970:吉野川流域の中央構造線の断層変位地形と断層運動速度.地理学評論,vol.43, no.1, p.1-21.
岡田篤正,1977:中央構造線中央部における最新の断層運動.MTL, vol.2, p.29-44.
大戸井義美・他8名,1981:上板町とその周辺の地質・地形・地下水,阿波学会・徳島県立図書館紀要,no.27, p.69-77.
篠原 勇,1987:地形と地質.土成町史,p.704-709.
須鎗和巳,1966:阿讃山脈東部の和泉層群の研究(その1).徳島大学教養部紀要(自然科学),vol.1, p.1-14.
須鎗和巳・他10名,1968:阿讃山脈東部の和泉層群の研究(その2).徳島大学教養部紀要(自然科学),vol.2, p.7-16.
須鎗和巳・阿子島 功,1978:四国島の中央構造線の諸問題(その3)―吉野川流域のネオテクトニクスの再検討―.徳島大学教養部紀要,vol.11, p.51-69.
山崎哲司,1987:四国・淡路島西部の和泉層群の放散虫群集.地質学雑誌,vol.93, no.6, p.403-417.

 図版説明
図版1

 土成町産のマクロ化石
  1.Myrtea angularis Tashiro
   二枚貝.Loc.2.5.7倍.
  2.Hexanchus sp.
   サメの歯.Loc. 11.2.8倍.
  3.Ezonuculana sp.
   二枚貝.Loc. 11.5.5倍.
  4−6.Ezonuculana mactreaformis obsoleta Tashiro
   二枚貝.4,5:Loc.2.6:Loc. 11.4.5:5倍.6:5.5倍.
  7.Ezonuculana sp.
   二枚貝.Loc.2.5倍.
  8.Polyptychoceras sp.
   アンモナイト.Loc. 11.5倍.
  9.Nucula(?) sp.
   二枚貝.Loc.5.3.5倍.
  10.Crassostera sp.
   二枚貝(カキ).Loc.6.1倍.

図版2

 放散虫の走査電子顕微鏡写真
 スケールはすべて100ミクロン.A:2−4,6−9,12―14,15,16.B:1,5,10,11,17−20.
Loc.2:9,20.Loc.3:16,18.Loc.4:5,11,12.Loc. 10:10.Loc. 11:1−4,6−9,13−15,17.
 1−4.Amphipyndax tylotus Foreman
 5.Amphipyndax aff. tylotus Foreman
 6.Amphipyndax pseudoconulus (Pessagno)
 7.Amphipyndax aff. pseudoconulus (Pessagno)
 8.Amphipyndax plosious Foreman
 9−12,14.Amphipyndax stocki (Campbell & Clark)
 13.Amphipyndax sp.
 15.Dictyomitra koslovae Foreman
 16.Dictyomitra densicostata Pessagno
 17.Dictyomitra sp.
 18,19.Archaeodictyomitra spp.
 20.Archaeodictyomitra lamellicoststa Foreman

図版3

 放散虫の電子顕微鏡写真
 スケールはすべて100ミクロン.A:1−5,7,10−12,15,16,18−21.B:6,8,9,13,14,17.Loc.1:18,Loc.4:14,Loc. 10:8,17,20,.Loc. 11:1−7,9−13,15,16,19,21.
 1,2.Archaeodictyomitra aff. lamellicostata Foreman
 3.Archaeodictyomitra cf. sliteri Pessagno
 4.Archaeodictyonitra sp.
 5−7.Dictyomitra multicostata Zittel
 8,9.Archaeodictyomitra tiara Campbell & Clark
 10.Dictyomitra nappensis Pessagno
 11.Dictyomitra sp.
 12.Dictyomitra koslovae Foreman
 13.Stichomitra livermaremsis Campbell & Clark
 14.Stichomitra aff. asymbatos Foreman
 15.Stichomitra campi Campbell & Clark
 16.Bisphaerocephalina(?) amazon (Foreman)
 17.Cryptamphorella conara (Foreman)
 18.Pseudoaulophacus sp.
 19.Archaeospongoprunum sp.
 20,21.Archaeospongoprunum salumi Pessagno

1)徳島大学教養部   2)阿南工業高等専門学校   3)東祖谷山村菅生小学校
4)鳴門教育大大学院  5)徳島県立博物館      6)徳島県教育研修センター
7)石井町石井中学校


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