阿波学会研究紀要


このページでは、阿波学会研究紀要論文をご覧いただけます。
 なお、電子化にともない、原文の表記の一部を変更しています。

郷土研究発表会紀要第38号
半田町の神社建築

郷土建築研究班(郷土建築研究会)

 原政仁1)・森兼三郎2)・富田真二3)・

 橋木国雄4)・龍野文男5)・

 松永佳史6)

1.はじめに
 半田町は吉野川の大河、半田川の清流、四国山脈の豊かな緑に恵まれ、由緒伝統ある歴史文化が育った町である。しかし近年は多分にもれず過疎化が進み、町内の人口は流出し町民の高齢化が目立っている。私たち郷土建築研究班は建築班と共に、7月下旬より数日間現地調査を行ったが、社寺建築の中でも特に神社建築を主に調査し、ここでは神社建築について報告する。
 今回、半田町の神社を39社調査し、その内で7社について配置、平面の図面を添えて説明し、また神社の細部については写真を混えながら報告する。終わりに補足として、半田町に多く見られる石造の随身像についても報告することとした。なお時間的な制約から細部に渡っての調査ができなかったことは残念であるが、今後、機会あれば綿密な調査を行いたいと思っている。
 最後に、この調査には京都の建築家、木下龍一氏も参加され協力していただいたことを一言付け加えておく。

2.半田町の神社概要
 わが国では古来から祭神には、祖先神(各家の氏神)、自然神(太陽・月・山・海・川・火・風・水等)、英雄神(倭武尊・源氏・平家等)、悪鬼たたり神、仏教及び中国の神々を習合した神(大明神・大権現)等がある。太古には神霊が年に一度、天上界から降臨し、山・木・磐・石等にやどり、その後鏡・剣・玉等にのりうつると信じられ、それを御神体として祀るようになった。そして皇室では伊勢神宮、出雲族では出雲大社の社が建てられ、神殿建物に御神体を奉安し、その後に新しい様式が生まれる。伊勢神宮の神明造りから流れ造り、八幡造り、吉備津造りができ、また大社造りからは大鳥造り、住吉造り、春日造り、日吉造り、祇園造り、入母屋造りへと発展していく。以上のように祭神による分類、建築様式から見る見方、格式により分類する方法等などがある。
 別表(神社一覧表)で以上の三点のほか、拝殿の構造様式・向拝の様式、鳥居様式等を掲載した。

 祭神別では、祖先神は今回は未調査であるが、由緒ある家系の祖先を祀る神であり各所に見られる。日光神社、石堂神社、神水三所神社等、半田町の神社の半数が自然神を祀る神社である。新田神社等が英雄神を祀る神社で新田一族の勢力の一面を見ることが出来る。建神社、荒神社、八坂神社、牛王神社等は悪鬼の神(素盞嗚命等)である。十二社神社、神宮寺は、修験場及び神仏混淆時に神社に付属した寺である。建築様式別では、小野の八幡神社が神明造りに、日浦上の高千穂神社が妻入入母屋造りに流向拝付きで、そのほかの神社本殿(神殿)の様式は流れ造りであり、出雲の系統(逢阪・出雲大社美馬教会。未調査)が殆ど見られず皇室の系統が多い。また拝殿では光神社、蜂須神社を除き本殿と共に木造であり、入母屋造が18社(片入母屋2社を含む)、切妻造が19社と二分する。向拝では縋破風が11社と多く、入母屋破風7社、唐破風2社、小庇2社、千鳥破風1社、切妻破風1社で、13カ社の拝殿に向拝がなかった。格式別では延喜式内社はなく、郷社1(小野・八幡神社)、村社6(建神社、石堂神社、八坂神社、上喜来・新田神社、黒尾神社、高地三所神社)、そのほかは無格社である。
 鳥居の様式では、明神鳥居が25カ所(御影石13、木造5、コンクリート3、ステンレス2、銅板巻2)、両部鳥居6カ所(全てが木造)、台輪鳥居(御影石)1、中山鳥居(御影石)1、宗忠鳥居(木造)1、で4カ所の神社に鳥居が建っていなかった。ここ半田町の両部鳥居には台輪(島木と柱の間にある輪状のもの)がないのが特徴であった。
 また神社拝殿、本殿のディティール「虹梁、繋海老虹梁、斗組、太瓶束」を掲載し、年代を探る根拠(虹梁の彫刻、繋海老虹梁の彫刻と反り、斗組の縦横の寸法、太瓶束の形状)として参考にしたい。斗組(大斗)の寸法も今回計測した。
 以上半田町の神社を調査し、まとめることができたが、時間的に余裕がなく年代的調査が皆無であり、今後の課題としたい。

3.半田町の各神社
(1)八幡神社(調査一覧表 No.1)鎮座地−半田町字小野116番地
 [本殿]二間社神明造、鉄板葺
     身舎−円柱、切目長押、内法長押、一軒角垂木、妻飾舟肘木、小夾小舞、
     庇−棟持柱(高欄の外)、刎高欄(反りなし)、四方切目縁
     千木−内宮式置千木
     堅魚木−6本
 [拝殿]桁行6間×梁間3間、平入入母屋造、桟瓦葺、土台、腰長押、内法長押、
     向拝−なし(礎石跡あり)
 この社は半田町の神社では最北部に位置し、小野上という地に鎮座する。創立年代は不詳であるが、当社古社地については「阿波志」等の資料によると、今の敷地付近にあったようである。神社の建物は弘化4年(1847)に再建立され、応神天皇・神功皇后・玉依姫命の神を祀る。昭和27年全焼し、同29年に現在の社殿ができた。
 寛延3年(1750)の明神鳥居より一直線上に平入入母屋造の拝殿、桁行三間×梁間二間の幣殿、二間社の本殿を配置している。半田町唯一の神明造であるが、棟持柱(二柱)が大床の外側に配置され全体に簡素な造りである。境内には延享2年(1745)の燈籠、寛政8年(1796)の百度石、石像の隨身像などがある。

(2)建神社(調査一覧表 No.2)鎮座地−半田町字逢坂62番地
 [本殿]一間社流造、銅板葺
     身舎−円柱、切目長押、内法長押、平三斗、台輪、二軒繁垂木、
        妻飾虹梁太瓶束笈形付、
     向拝−角柱、虹梁頭貫木鼻(象鼻)、繋海老虹梁、刎高欄三方切目縁、脇障子
     千木・堅魚木−なし
 [拝殿]桁行5間×梁間3間、平入入母屋造千鳥破風、角柱、大唐破風、本瓦葺、虹梁頭貫木鼻(象鼻)、平三斗、中備蟇股、擬宝珠高欄三方切目縁、
 この社は半田町を少しさかのぼった市街地にあり、町誌によると「美馬郡式内十二座の内、建神社と称され、往昔東山びょうた石のある平地笹の丸にあったが建仁2年(1202)3月逢坂の荒神社へお遷りし建永元年(1206)現地に移された。」とされている。その後焼失し明和3年(1766)に本殿を、安永7年(1778)に拝殿を再建し現在に至っている。本殿は総欅造りの一間社である。また拝殿は入母屋造りの正面に軒を一段下げて妻入り入母屋造り唐破風の向拝を設けている。側廻りには台輪の上に挙鼻付きの平三斗を配しているが、内部には組物を表さず簡素な内容となっている。

(3)石堂神社(調査一覧表 No.6)鎮座地−半田町字日浦990番地
 [本殿]一間社流造、銅板葺
     身舎−円柱、切目長押、内法長押、二手先詰組和様出三斗、二軒繁垂木、
        妻飾二重虹梁中備蟇股太瓶束笈形付
     向拝−角柱・虹梁型頭貫木鼻、中備彫刻、繋海老虹梁、擬宝珠高欄四方切目縁、
           脇障子
     千木−千木先垂直切 堅魚木−3本
 [拝殿]桁行3間×梁間2.5間、平入入母屋造千鳥破風、縋破風、角柱、桟瓦葺、虹梁頭貫木鼻(龍)、中備彫刻、繋海老虹梁、一軒角垂木
 この社は三加茂町との境の日浦という地にあり、北に吉野川の清流を見おろす山上に鎮座する。現在の本殿は明治24年(1891)の建立で、天神七代・地神五代の神を祀る。近くには摂社高千穂神社がある。
 配置は、南向きに拝殿・幣殿・本殿と並び、拝殿・幣殿の右に直接社務所が連結している。これらの社殿の左側には合祀の社殿(拝殿・本殿)が並び鎮座する。また神輿庫は社務所の北東側に位置する。本殿は昭和60年(1985)4月20日に町の文化財に指定されている。四方切目縁は三手先組物で受け、大斗間には彫刻や蟇股、床下の長押間には波の彫刻が施されている。また、身舎の斗組は二手先詰組出三斗とその上に出三斗と二段構えの造りである。それらは腰組と同様に、直線的な和様肘木で構成されている。

(4)八坂神社(調査一覧表 No.7)鎮座地−半田町字西久保155番地
 [本殿]一間社流造、銅板葺
     身舎−円柱、切目長押、内法長押、二軒繁垂木、出三斗、台輪、
        妻飾虹梁太瓶束笈形付、中備蟇股、中備彫刻、
     向拝−角柱、虹梁頭貫木鼻(獅鼻)、繋海老虹梁、平三斗、脇障子、
        擬宝珠高欄三方切目縁、木階(木口階段)、昇高欄、
     千木−千木先垂直切
     堅魚木−あり
 [拝殿]桁行3間×梁間2間、平入入母屋造唐破風、本瓦葺、土台、角柱、擬宝珠高欄三方切目縁、切目長押、内法長押、一軒角垂木、
 この社は古来牛頭天王と呼ばれ鳥居の東側に階段があり、元来はこの階段の下が神社の表参道であったという。階段は30段余り有り、登り詰めると正面に拝殿が目に映る。この拝殿は現在のように改築する迄は藁葺きで四方壁が吹き放しで村芝居の舞台として利用されていたが、大正15年に建坪をやや縮小して屋根を瓦葺きとし建替られた。平面は三方切目縁を配して宝珠柱付高欄が四隅に立つ構成となっている。向拝には昇高欄はなく石段の木階となっている。屋根は唐破風付き入母屋造りである。
 本殿は総欅造りの高床式の一間社となっている。袖には脇障子があり、木階は昇高欄としている。

(5)新田神社(調査一覧表 No. 23)鎮座地−半田町上喜来376番地
 [本殿]一間社流造、銅板葺
     身舎−円柱、切目長押、内法長押、三手先詰組出三斗、
      妻飾二重虹梁中備彫刻、二軒角繁垂木、虹梁頭貫木鼻(象鼻)
     向拝−角柱、虹梁頭貫木鼻(龍鼻) 高欄四方切目縁、繋海老虹梁
     千木−千木先垂直切
     堅魚木−3本
 [拝殿]桁行4間×梁間2.5間 平入入母屋縋破風、鉄板葺、一軒角垂木、
     角柱、虹梁頭貫木鼻、中備蟇股、一方切目縁(高欄なし)
 この社は喜来谷の最深部の上喜来という地に鎮座する。創立年代は不詳であるが町誌によると明暦4年(1658)となっており、この年代は再建で更に古いと思われる。祭神は新田義貞、大年神を祀る。社宝としては、三角槍、笹穂槍、和鏡、書軸が残っている。建物は、昭和44年に建てられた御影石の明神鳥居より一直線上に拝殿、幣殿、本殿と配置されている。拝殿は入母屋造で左側に神輿庫が設けられている。本殿は一間社流造で身舎は三手先詰組出三斗、妻飾二重虹梁中備彫刻など堂々とした造りであり周囲をトタン張りの囲いで保護している。

(6)黒尾神社(調査一覧表 No. 34)鎮座地−半田町字佐古戸64番地
 [本殿]一間社流造、鉄板葺
     身舎−円柱、切目長押、内法長押、二手先詰組唐様出三斗、二軒繁垂木、
      妻飾二重虹梁太瓶束、中備彫刻
     向拝−角柱、虹梁型頭貫木鼻、中備彫刻、繋海老虹梁、刎高欄三方切目縁、
        脇障子、擬宝珠昇高欄、木階(木口階段)
     千木−千木先垂直切 堅魚木−あり
 [拝殿]桁行4.5間×梁間2間、平入入母屋造、鉄板葺、向拝なし、虹梁型頭貫木鼻、
     繋海老虹梁、三方縁、一軒角垂木
 この社は半田川沿いの佐古戸という地にあり、素盞嗚命・大山祇命の神を祀る。配置は昭和10年(1935)建立の明神鳥居より石段を登ると、拝殿・幣殿・祝詞殿と一間社流造の本殿と続く。
 町誌によると、現在の拝殿は大正14年10月10日に再建されたものであり、三方縁を持ち正面及び片側面は建具で全開放できる形態をしている。総欅造り本殿の建立年代は未調査であるが、身舎は二手先詰組出三斗や妻飾二重虹梁太瓶束などで構成されている。また、三方切目縁は彫刻の施された持ち送りで受けている。

(7)三所神社(調査一覧表 No. 36)鎮座地−半田町字白石
 [本殿]一間社流造、銅板葺
     身舎−円柱、切目長押、内法長押、二手先詰組和様出三斗、
        支輪、妻飾二重虹梁中備蟇股太瓶束笈形付
     向拝−刎高欄三方切目縁、脇障子、木階(木口階段)、擬宝珠昇高欄
     千木−千木先垂直切
     堅魚木−3本?
 [拝殿]桁行5.5間×梁間3間 平入切妻造、鉄板葺、小庇付
 この社は標高550mの山間部に位置する。町誌によれば神社に保存されている棟札は計5枚あり、そのうち最古の年代は元禄2年(1689)9月吉日とある。伊射那岐命、伊射那美命、大山祇命を祭神としている。建物は明神鳥居をくぐり少し坂を上って左手前に集会所があり、その先に拝殿、祝詞殿、本殿と配置されている。本殿は一間社流造である。境内には一対向き合いの随身像があり、今回の調査の中では最古の天保14年(1843)とあり形態も他と異なり四角柱の撫養石に随身像を浮彫りとしている。

4.半田町の社殿ディティール
(1)虹梁

(2)海老虹梁

(3)斗組

(4)太瓶束

5.半田町の随身像
 県下に数多く随身像が確認されているが、半田町の随身像は特異な安置形態・形状をしている。随身像とは仏教寺院にある仁王門の二王にならったものといわれ、神社の境内の人り口にある門に随身姿の神像を置いた。その門を随身門と言い、この二神を『■神・かどもりのかみ』『看督長・かどのおさ』と称し、俗に矢大臣・左大臣といっている。
 随身とは、中世の貴人が外出するときに、護衛として従った近衛府の舎人のことで、武官の用いる冠をつけ、矢を背負い武器をもっている。また隨身像は坐像が圧倒的に多く、まれに立像(鴨島町・八幡神社等)もみられる。
 半田町の隨身像は、撫養石で造られており、その全てが坐像であり雨晒しで二神が向かいあって安置されている(小野・八幡神社を除く)。かどもりのかみ・矢大臣は右足を、かどのおさ・左大臣は左足をそれぞれ膝の上にのせているのが特徴である。安置された年代は、白石の三所神社が一番古く、天保14年(1843)であり、他のは明治中〜後期である。小井野の部落は、現在なお車社会から寸断された村で、山奥の若宮神社にも随身像があり、明治32年(1899)氏子の代表数名が徳島市富田の石屋まで出向いて、出来るまで旅館で待機していた。完成すると帆掛け船に載せ、吉野川を上り船から降ろすと、狛犬等と共にそれぞれ背負って運んだそうである。

1)ガル・Space Design 主宰 2)A+U森兼設計室主宰 3)富田建築設計室主宰
4)諒建築設計事務所主宰 5)龍野建築設計事務所主宰 6)Y.M. 設計室主宰


徳島県立図書館