阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第39号
三好町の仏像

史学班(徳島史学会)  田中省造1)

はじめに
 今回の三好町の学術調査では、三好町当局からの依頼があり、三好町の仏像について調査した。調査はお堂を中心に、願成寺・瑠璃光寺の二か寺をふくめ、十数箇所に及んだ。
 三好町には、現在町指定文化財となっている願成寺の薬師如来坐像、瑠璃光寺の弘法大師坐像、春音寺の阿弥陀如来立像の三躯の仏像をはじめ、すぐれた仏像が数多い。また、高田喜六氏所蔵の誕生仏は白鳳時代の優品である。しかしながら、天文年間の銘をもつ願成寺の薬師如来坐像、高田氏所蔵の誕生仏などを重要な例外として、中世にまでさかのぼる仏像の存在が知られていなかった。徳島県にあっても古くから開けた土地柄の三好町にあって、いささか奇異な感を抱かせたのである。
 今回の調査で、市場の観音堂および宮ノ岡の薬師堂のそれぞれのお堂から鎌倉時代の制作と考えられる仏像が見つかり、瑠璃光寺の秋葉堂に南北朝時代のものとみられる懸仏二躯がお祀りされていることが分かった。これらあわせて四躯の仏像は、それぞれに当時の人々の信仰の対象として大切にお祀りされてきたものであり、三好町の中世の歴史を考えるうえでも、貴重な文化財である。
 また、江戸時代の制作ではあるが、銘文などで制作時期の推定できるものも、何点かみられた。以上の仏像をふくめ、今回の調査で拝見できた仏像には、優れたものが多くみられた。全般的にいって、調査の収穫は大きかったと考えられる。また、仏像以外にも、三好町の優れた文化遺産を身近に拝見することができ、三好町の豊かな歴史の一端に直接触れることができたのは、得難い経験であった。
 以下、それぞれの仏像につき、詳述するが、取り上げる仏像は主として調査の順序にしたがった順不同のものであり、他意はない。また、紙幅の関係で調査したすべての仏像に触れることができなかった。関係者のご寛恕を請いたい。

A 市場の観音堂
1  如意輪観音菩薩坐像 像高 41.5cm
 このお堂の本尊である。六臂の如意輪観音であるが、右第一手は頬に掌をあてる姿ではなく、軽く指先を屈する思惟相である。高い宝髻を結い、条帛、天衣、裳を着ける。寄木造り、内刳、彫眼である。右第二手のもつ宝珠の下半分が残るほか、他の持物をすべて欠失している。怜悧なお顔、すっきりとした造作など、中央の仏師の手になる宋風色の濃いものである。鎌倉時代の制作とみられる。この付近に光明寺の地名が残っており、かつて光明寺という寺院が存在したことが知られるが、あるいはこの光明寺が廃寺となったあと、この寺から移されたものとも考えられる。なお、本像は、彩色、宝冠、台座、光背など、すべて後補であろう。
2  薬師如来坐像 像高 36.0cm
 衣を通肩に着け、右手を屈臂し掌を前に向け(ただし、手首より先を欠く)、左手を屈臂して薬壼を執る通行の姿である。頭体幹部一材で、膝部は別材である。彫眼で、現状古色である。膝裏に以下の墨書銘があって、元禄二年(1689)の制作、造立者は浄土宗系の信仰をもっていたことが知られる。

 又一念母妙清/善道(導)太(大)師/法然聖人/南無阿弥陀仏/南無薬師如来元禄二年巳ノ九月三日/西雲四十六ニテ廿一事/奉甲(?)唐松庄大夫六十九ニテ
   (括弧・斜線は田中、以下同じ)
◎他に、地蔵菩薩立像二躯(いずれも江戸時代)などがある。
B 宮ノ岡の薬師堂
2  如来坐像 像高 35.0cm
 右手を施無畏印とするが、左手は手首から先を欠いている。お堂の名前からして、おそらく、左手は掌を上にして薬壼を執る薬師如来像と思われる。当初は全身に漆箔を施す、いわゆる皆金色の像であったとみられるが、現状着衣の部分は古色状を呈している。お顔全体に比して目鼻立ちは小作りで、額も広く(白毫を欠く)、一種冷たい印象を受ける。胸前を大きく開け、衣全体に平行状の衣文を刻んでいる。鎌倉時代の作であろう。また、台座の蓮華も当初のものとみられる。蓮華以外の台座、光背は後補である。当地は、元暦二年(1185)六月、源頼朝によって石清水八幡宮に寄進された三野田保のあったところである。現在、この宮ノ岡薬師堂と道路を隔てて反対側に位置する足代八幡神社は、この石清水八幡宮の分霊を勧請したものといわれる。お堂の境内を含めて、見事なナギの木が群生しており、徳島県の天然記念物に指定されている。このお堂の所在地から考えて、足代八幡神社の創建は鎌倉時代にさかのぼり、お堂の前身はその境内にあったもの、あるいは、この神社の神宮寺的な存在であったとみなすことができよう。また、この如来像はこのお堂の本尊像であったと考えられる。
4  聖観音菩薩坐像 像高68.0cm
 寄木造り、彫眼、古色。右手第一指と第二指を捻じ、左手に蓮華を執る。江戸時代。
◎他に、弘法大師坐像(寄木造り、彫眼、彩色、江戸時代)などがある。
C 東原の観音堂
5  弘法大師坐像 像高63.0cm
 寄木造り、内刳、玉眼、肉身は漆箔、着衣は彩色である。近年、彩色などを修理した。お顔は細面であるが、体部は厚みがあり、膝部も高く、張りもよい。弘法大師像としては比較的大きく、重量感もある、実に堂々とした像である。江戸時代の作であろう。ところで、『三好町史』によれば、「本尊は持ち出された由」とあり、確かに本尊の観音像は見当たらなかった。しかし、この像が立派に本尊像の代わりをつとめ、地域の人々の信仰を集めている。毎年七月十日には、この観音堂に人々の参詣が引きも切らないとのことであった。この日は観音さまの結縁日、この日にお参りをすれば、四万六千日分の功徳があるという。東京浅草寺の四万六千日が有名であるが、この地でも伝統の行事として続いていることはうれしいことである。なお、毎月十日にも、人々の参詣があるとのことであった。
D 行安の一の堂
6  如来坐像 像高 23.5cm
 寄木造り、内刳、玉眼、漆箔である。右手を施無畏印とするが、左手の手首より先を欠くため、尊名は不明である。『三好町史』に「本尊薬師如来?」とあり、あるいは左手に薬壼をもつ薬師如来像だったのかもしれない。江戸時代の作。
◎他に、千手観音菩薩立像、地蔵菩薩立像がある。ともに寄木造り、内刳、玉眼、漆箔である。ともに江戸時代の作であろう。
E 中ノ段の大日堂
◎役行者倚像(寄木造り、内刳、彫眼、古色、江戸時代)などの像がある。本尊は自然石で、中央にうっすらと何やら像のごときものが見える。また、「天己未(?)奉造立□庵□□」の刻銘がある。おそらくは、修験者の刻んだものであろう。他に、弘法大師坐像(寄木造り、江戸時代)などがある。
F 井上の薬師堂
7  如来坐像 像高 32.0cm
 寄木造り、内刳、玉眼、漆箔の像で、江戸時代の作であろう。裳先および左手首から先を欠いているが、このお堂の本尊像で、薬師如来像と考えられる。
8  千手観音菩薩立像 像高 48.5cm
 寄木造り、内刳、玉眼、漆箔。ただし、化仏、頂上面、左右の脇手のすべて、台座、光背を失っている。江戸時代の作と考えられる。
◎他に、弘法大師坐像(寄木造り、内刳、玉眼、彩色、江戸時代)などがある。
G 久保の地蔵庵
9  菩薩坐像 像高 19.5cm
 寄木造り、内刳、玉眼、漆箔。右手肘より先、左手に執っていたとみられる持物を失っている。おそらくは左手に蓮華を執る聖観音菩薩であろう。江戸時代の作。
H 山田の地蔵堂
10  地蔵菩薩立像 像高 48.0cm
 両手の手首より先を欠失するが、右手に錫杖を執り、左手に宝珠をもつ通行の地蔵菩薩とみられる。寄木造り、内刳、玉眼、漆箔。『三好町史』によれば、島本房蔵氏所蔵の元禄十四年(1701)霜月の年紀のある「地蔵菩薩尊像造立奉加帳」(意により一部改める)に、当時弘法大師作といわれた像が痛んできたので、広く寄進をつのって新しく像を造立することにしたとある。本像はまさにこの時新造された像と考えられる。制作時期とその経緯がはっきりしたものであり、貴重この上ないものといえよう。
◎その他に、弘法大師坐像(寄木造り、内刳、玉眼、彩色、像高 43.0cm)、如来立像(寄木造り、内刳、玉眼、古色、像高 39.0cm)、青面金剛立像(寄木造り、内刳、彫眼、古色)などがある。いずれも江戸時代の作とみられる。
I 円福寺の薬師堂
11  如来坐像 像高 30.4cm
 左手首より先を欠いているが、薬壼をもつ薬師如来像で、このお堂の本尊像であろう。寄木造り、内刳、玉眼、漆箔の像である。江戸時代の作である。
◎その他に、弘法大師坐像(寄木造り、内刳、玉眼、彩色、像高 26.8cm)などがある。また、版木二枚があり、そのうち一枚(縦 23.0cm、横 9.8cm)には、その上部に薬師如来の尊像、また下部に蓮華の画と「円福寺/薬師」の文字が、もう一枚(縦 23.0cm、横 6.3cm)には、全面に「奉読誦般若心経一千巻如意円満祈攸/諸天善神/当来守護/行者敬白」の文字が陽刻されている。
J 田井中の地蔵堂
12  地蔵菩薩半跏像 像高 22.0cm
 左足を垂らすいわゆる延命地蔵の姿である。右手に執る錫杖、左手首より先を欠いている。このお堂は「お地蔵はん」と呼ばれ地域の人々の信仰を集めているが、この像はこのお堂の本尊像とみられる。寄木造り、内刳、玉眼、漆箔。江戸時代の作である。
◎その他に、如来坐像(寄木造り、内刳、玉眼、肉身漆箔、着衣彩色。像高 22.0cm)などがある。
K 松岡の大師堂
13  弘法大師坐像 像高 39.3cm
 寄木造り、内刳、玉眼、彩色の像である。近年、新たに彩色された。壮年の大師像であるが、作技には優れたものが感じられる。台座裏に「弘法大師御影/佛所南紀京大佛師/松山市左衛門長興/寛政二庚戌三月甘一日」の銘文がある。これによって、寛政二年(1790)の弘法大師の命日にこの像が造られたこと、およびその作者の名前が知られる。かつてはこのお堂で宿泊するお遍路さんも多かったという。そうしたお堂の性格にふさわしい本尊像といえよう。
◎その他に、地蔵菩薩立像(寄木造り、内刳、玉眼、彩色。像高 33.0cm)、天部立像(一木造り、彫眼、彩色。像高 37.5cm)などがある。
L 中屋の虚空蔵庵
14  菩薩坐像 像高 9.3cm
 宝髻までふくめて一木で彫られている。小像だが、なかなか優れた作技を見せる。素地のままで、檀像を意識したものであろう。両手肘より先を欠いているが、この庵の本尊像として祀られており、虚空蔵菩薩像とみられる。あるいは当初は左手の掌に宝珠をのせる姿であったのではなかろうか。江戸時代の作と思われる。
◎その他に、千手観音菩薩立像などがある。
M 菖蒲の観音堂
15  如意輪観音坐像 像高 23.5cm
 二臂の如意輪観音で、右手は甲を頬にあて、左手は垂下している。寄木造り、内刳、肉身は漆箔、着衣は彩色の像である。なかなか洗練されたユニークな作風を示している。宝髻を欠いている。「思惟観音」と呼ばれ、この仏に祈れば、安産間違いなしという。江戸時代の作である。

1)四国大学


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