阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第40号

由岐町の社寺建築

郷土建築研究班(郷土建築研究会)   

森兼三郎1)・富田真二2)・松永佳史3)   

橋本国雄4)・原政仁5)・龍野文男6)   

那須幸男7)

はじめに
 昭和30年に阿部村と三岐田町が合併してできた由岐町は県東岸の南寄りに位置し、太平洋岸沿いに約12kmの細長い形状をした町である。町内東端の伊座利から西端の木岐まで八つの地域からなり、そのいずれもが漁業を主産業として生活している。
 太平洋の壮大な荒海との暮らしは厳しく自然との闘いでもあった。それは民家の造り方にも現れていた。玄関横の雨戸に工夫を凝らした「ミセ造り」と呼ばれる民家が、軒の出を抑え肩を寄せ合うように並んでいたが、いまはその数もめっきり少なくなっている。また、それぞれの地域の多くの神社には海に関わるご祭神が祀られ、漁師たちの海上安全や豊漁を祈願した。
 私たち郷土建築研究班は7月27日から8月8日までのうち6日間、由岐町全域で38の神社と22の寺院を建築学的見地から実態調査を実施し、建物の構造や建築様式などを一覧表にまとめた。なお、今回の調査では地域的な建築様式の特徴や傾向に主眼を置き、数多くのデータを得ることができたが、細部についての調査が充分なものでなく、今後の機会に穴埋めしたいと思っている。

目  次
 1.由岐町の神社一覧表
 2.由岐町の寺院一覧表
 3.由岐町の社寺概要
 4.由岐町の各神社
 (1)新田八幡神社(伊座利)
 (2)宮内神社(阿部)
 (3)天神社(東由岐)
 (4)白鳥神社(田井)
 (5)八幡神社(木岐)
 (6)吉野神社(志和岐)
 (7)八幡神社(西由岐)
 5.由岐町の各寺院
 (1)御水大師(阿部)
 (2)地蔵庵(田井)
 (3)極楽寺(伊座利)
 (4)荘厳寺(志和岐)

1.由岐町の神社一覧表

2.由岐町の寺院一覧表

3.由岐町の社寺概要
 神社は8地域それぞれに、旧社格の村社とその周辺に32社の無格社が、寺院は全域で9ヵ寺と13の堂庵が点在する。篦野島に鎮座する島頭と厳島神社の2社を除く60の社寺のデータを得ることができた(各表参照)。この社寺のうち、西の地の岡崎神社を除く七つの村社と4ヵ寺の実測調査を行い、平面図等を作成できたので、紹介する。
 神社建築の本殿の様式については、木岐の満石神社(木造切妻造り平入り−神明造りの変形)を除き、小さい祠(ほこら)を含む全ての神社が流造(ながれづく)りであり、中でも志和岐の吉野神社、西由岐の八幡神社が三間社と大規模な造りとなっている。東由岐の天神社の腰の枡組(ますぐみ)(四手先(よてさき))や妻飾りなどには風格が漂う。拝殿を有するのが12社で、うち9社が入母屋造り(木造4社、鉄筋コンクリート造5社)、その他は切妻造り(鉄筋コンクリート造)であった。本殿の屋根葺き材料は主として銅板葺き(一部鉄板葺き)であるが、田井の白鳥神社と木岐の八幡神社で檜皮(ひわだ)葺きが見られた。また、拝殿では本瓦葺きが5社、銅板葺きが3社で、残りは鉄筋コンクリート造であり、このコンクリート造の多さが海岸部の地域色をよく表している。
 細部の特徴を見ると、身舎(もや)では円柱に切目(きれめ)と内法長押(うちのりなげし)を付け、頭貫(かしらぬき)の端には木鼻を、枡組(ますぐみ)には出三斗(でみつど)を使用したものが多く、軒では二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)が主で、木岐の天王神社と南白浜の王子神社では板軒もみられた。千木先(ちぎさき)は垂直切りで、堅魚木(かつおぎ)は3本が多く、2本、5本のものもあった。向拝(こうはい)は角柱に刎高欄(はねこうらん)、三方に切目縁(きれめえん)が廻り、繋海老虹梁(つなぎえびこうりょう)と手挟(たばさみ)が二重に付く所もあった。木階(きざはし)は小口階段に擬宝珠(ぎぼし)と標準的なものが多い。天神社の枡組が塗装によって保護されていて、素木(しらき)の美しさが失われているのは残念であるが、風雨に晒されて損壊されることを考えればどちらとも言えないのが現状である。町内全域の社寺建築を見て特筆すべきものといえば、県下の他の地域には見られなかった、ずんぐりとした異形の大瓶束(たいへいづか)が、岡崎神社本殿の妻側や極楽寺の向拝などに見られたことである。


 鳥居の様式では、伊座利の蛭子神社に鹿島鳥居がみられるほかは、標準的な明神鳥居が大半を占めていた。材質では御影石が多いが、鉄筋コンクリート造や木造も見られた。大斗(だいと)の寸法の比率は採取したデータが少なかったが、県下の標準的な形状や数値と類似し、特筆すべき建物はみられなかった。
 寺院(堂庵も含む)では、阿部の地福寺が真宗、西由岐の光願寺が浄土真宗のほかは真言宗である。堂庵の一部を除く寺院の本堂は木造の入母屋造りが多く、他に切妻や寄棟造りも見られる。庫裏を有する寺院は7ヵ寺と多く、入母屋または切妻造りの本瓦葺きであり、堂庵は殆どが小規模なコンクリート造の方形(ほうぎょう)造りである。

4.由岐町の各神社
(1)新田八幡神社(調査一覧表……1) 鎮座地−由岐町伊座利(いざり)字向山1−1
 [本殿]一間社流造(ながれづくり) 銅板葺
     身舎(もや)−円柱 切目長押(きれめなげし) 内法長押(うちのりなげし) 台輪 三手先尾垂木(みてさきおだるき)彫刻板支輪(しりん)
妻飾(つまかざり)・大虹梁(だいこうりょう)二重虹梁大瓶束(たいへいづか) 二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)
     向拝(こうはい)−角柱 虹梁型頭貫木鼻(こうりょうがたかしらぬききばな)・錫杖彫(しゃくじょうぼり) 出三斗(でみつど) 中備(なかぞなえ)彫刻 繋海老虹梁(つなぎえびこうりょう)、刎高欄三方切目縁(はねこうらんさんぽうきれめえん) 彫刻付脇障子 木階(きざはし)(小口階段) 昇擬宝珠高欄(のぼりぎぼしこうらん)
     千木(ちぎ)−千木先垂直切
     堅魚木(かつおぎ)−3本
 [拝殿]桁行5間×梁間2間 平入(ひらいり)入母屋造 大唐破風(おおからはふう) 本瓦葺
     向拝−虹梁型頭貫木鼻・錫杖彫 中備彫刻 大瓶束 出三斗

 この社は伊座利集落東側の山裾に位置する。広い馬場の西側には通夜堂兼舞台があった(1989.10.12調査時)が、鉄筋コンクリート造の集会所に改築されている。馬場東側の石段を登りきると、左側に入母屋造りの拝殿が見え、相ノ間を挟んで奥に流造りの本殿が南向きに建つ。
 町史には、「延宝8年(1680)の創建とされているが度々改修されており」とある。現在の本殿の建立年代は明かではないが、高欄、縁、脇障子など足元回りを近年修復されている。旧村社格としてはやや小振りな本殿であるが、妻面は尾垂木(おだるき)を用いた三手先(みてさき)に大虹梁(だいこうりょう)を載せ、その上の二重虹梁は出組(一手先)で受けており、軒が深く大きく見える。

(2)宮内(くない)神社(調査一覧表……4) 鎮座地−由岐町阿部(あぶ)字東谷3−2
 [本殿]一間社流造 銅板葺
     身舎−円柱 切目長押 内法長押 台輪 出三斗 妻飾・二重虹梁大瓶束笈形付(にじゅうこうりょうたいへいづかおいがたつき) 中備彫刻蟇股(なかぞなえちょうこくかえるまた) 二軒繁垂木
     向拝−角柱 虹梁型頭貫木鼻・錫杖彫 繋海老虹梁 刎高欄三方切目縁(はねこうらんさんぽうきれめえん) 脇障子 木階(小口階段) 昇擬宝珠高欄
     千木−千木先垂直切
     堅魚木−3本
 [拝殿]桁行4間×梁間2間 平入入母屋造 大唐破風 本瓦葺
     向拝−角柱 大虹梁頭貫木鼻(挙) 二重虹梁 出三斗 中備彫刻蟇股
        大瓶束笈形付

 阿部の浜や太平洋を一望できる灘山の中腹に南面する。明神鳥居をくぐると左側に集会所が東面しており、明治の初期に造られた花崗岩の階段を上ると正面に拝殿が見え、その奥に本殿が一段高い基壇の上に建つ。
 拝殿は桁行4間、梁間2間の前方に大唐破風の向拝が付く。その向拝の正面には大虹梁、中備蟇股、二重虹梁、大瓶束笈形が付く。大虹梁の下部に錫杖彫りが施されているのは、江戸期以前の神仏習合の名残りである。
 本殿は標準的な一間社流造りで現在鞘堂(さやどう)により保護されている。身舎は上記の通り、ごく標準的な造りであるが、妻飾りの大瓶束はずんぐりとした蕪(かぶ)のような特異な形状をしている。

(3)天神社(調査一覧表……11) 鎮座地−由岐町東由岐字本村28−1
 [本殿]一間社流造 銅板葺
     身舎−円柱 腰長押 切目長押 内法長押 台輪 四手先詰組腰組
        三手先詰組彫刻板支輪 出組 妻飾・大虹梁二重虹梁中備彫刻大瓶束
        二軒繁垂木
     向拝−角柱 虹梁型頭貫木鼻(獅子) 繋海老虹梁 手挟 出三斗
        刎高欄三方切目縁 彫刻付脇障子 木階(木口階段) 昇擬宝珠高欄
     千木−千木先垂直切
     堅魚木−5本
 [拝殿]桁行3間×梁間2間平入入母屋造(鉄筋コンクリート造)大唐破風(木造)銅板葺
     向拝−角柱 大虹梁頭貫木鼻・錫杖彫(象) 出三斗 中備蟇股
        大瓶束笈形付 繋海老虹梁 一軒角垂木

 この社は本村と大池の境の標高約70m の高台に位置し、眼下に由岐港を見渡し、社殿は西向きに建立されている。創立年代は不詳であるが、町史によると正徳5年(1715)建立の棟札がある由である。現在の本殿は大正9年(1920)建立のものを修理、拝殿は昭和48年再建。
 一の鳥居をくぐり石段を登る途中に、蛭子神社、龍王神社の小社を祀る。石段を登りきり、二の鳥居をくぐると境内が広がり正面に拝殿、横に5小社が祀られている。本殿は小規模ながらも、組物を多用している。軒下の三手先は最初の一手が肘木を使っており、二手目、三手目は尾垂木の上に乗り、禅宗様となっている。二重虹梁は出組で受けられ、大瓶束には笈形はない。腰組は四手先詰組、と重厚であり、斗■(ときょう)は和様構成となっている。

(4)白鳥神社(調査一覧表……26) 鎮座地−由岐町田井字白鳥799
 [本殿]一間社流造 檜皮葺
     身舎−円柱 切目長押 内法長押 台輪 連三斗出組 
        妻飾・大虹梁二重虹梁 頭貫木鼻(拳) 二軒繁垂木
     向拝−角柱 虹梁型頭貫木鼻(拳) 繋海老虹梁 出三斗
        刎高欄三方切目縁 脇障子 木階(木口階段) 昇擬宝珠高欄
     千木−千木先垂直切
     堅魚木−2本
 [拝殿]桁行3間×梁間3間 平入入母屋造 本瓦葺
 [農村舞台]桁行3.5間×梁間3間 平入切妻造 本瓦.桟瓦葺併用

 この社は田井の浜に近い山裾に鎮座する。境内は鬱蒼とした杜のなかにある。創立年代は不詳、現存する棟札は文化3年(1806)が最も古い。
 一の鳥居をくぐると前方に芝居の舞台が建っている。さらに二の鳥居をくぐり石段を上ると、高台に平入り入母屋造りの拝殿が南面する。敷地は山の斜面を切ったもので、本殿は一段高い基壇の上に建っている。本殿、拝殿共に修繕の跡が見られ、屋根の檜皮葺きは往時の姿をとどめているものの、枡組(巻斗)の寸法が若干縮まっている。妻側は内法長押、貫、台輪、連三斗で持ち出された大虹梁の上部に二重虹梁が乗る。

(5)八幡神社(調査一覧表……30)鎮座地−由岐町木岐字北地946
 [本殿]一間社流造 檜皮葺
     身舎−円柱 切目長押 内法長押 台輪 三手先尾垂木彫刻板支輪
        妻飾 大虹梁二重虹梁大瓶束笈形付 中備彫刻蟇股 二軒繁垂木
     向拝−角柱、虹梁型頭貫木鼻・錫杖彫(龍) 中備彫刻蟇股 手挟
        刎高欄三方切目縁 脇障子 木階(板階段) 昇擬宝珠高欄
     千木−千木先垂直切
     堅魚木−3本
 [拝殿]鉄筋コンクリート造 平入入母屋造 大唐破風 本瓦葺

 この社は、木岐集落東側の山裾にある築山式庭園で名高い真福寺と並ぶように位置している。文政2年(1819)の明神鳥居をくぐり石段を登りきると、正面に入母屋造りの拝殿が見え、奥に鞘堂に覆われて流造りの本殿が南東向きに建つ。
 町史には、「大永6年(1526)の棟札を存す」とあるが、現在の拝殿は昭和55年に鉄筋コンクリート造で改築され、本殿は建立年代不詳である。
 本殿妻面は尾垂木を用いた三手先で大虹梁を受け、二重虹梁の上にはこの地で度々見かけた蕪かぶのような形をした異形の大瓶束が乗る。向拝の中備彫刻蟇股は組物間を隙間なく彫刻で埋め尽くし、蟇股の形状が判らないほど装飾的である。

(6)吉野神社(調査一覧表……6) 鎮座地−由岐町志和岐浦字中ノ谷177
 [本殿]三間社流造 銅板葺
     身舎−円柱 切目長押 内法長押 台輪 頭貫木鼻 二手先尾垂木彫刻板支輪
        妻飾・大虹梁二重虹梁中備彫刻大瓶束笈形付 二軒繁垂木
     向拝−角柱 虹梁型頭貫木鼻(龍) 中備彫刻 手挟 繋海老虹梁
        刎高欄三方切目縁 彫刻付脇障子 木階(小口階段) 昇擬宝珠高欄
     千木−千木先垂直切
     堅魚木−3本
 [拝殿]桁行3間×梁間2間 平入入母屋造 大唐破風 本瓦葺
     向拝−角柱 大虹梁頭貫木鼻(獅子) 二重虹梁木鼻 中備彫刻
        大瓶束笈形付 出三斗

(7)八幡神社(調査一覧表……17) 鎮座地−由岐町西由岐字後山25-1
 [本殿]三間社流造 銅板葺
     身舎−円柱 切目長押 内法長押 台輪 出三斗
        妻飾・虹梁大瓶束笈形付 二軒繁垂木
     向拝−角柱 虹梁型頭貫木鼻(獅子) 中備彫刻 繋海老虹梁 手挟
        刎高欄三方切目縁 脇障子 木階(小口階段)昇擬宝珠高欄
     千木−千木先垂直切
     堅魚木−3本
 [拝殿]桁行5間×梁間2間 平入入母屋造 大唐破風 本瓦葺
     向拝−虹梁型頭貫木鼻・錫杖彫(龍) 中備彫刻 大瓶束笈形付 出三斗

5.由岐町の各寺院
(1)御水大師庵(調査一覧表……B) 所在地−由岐町阿部
                   山号−金龍山
 [本堂]木造方形造 本瓦葺 向拝なし 角柱 切目長押 台輪 大斗肘木 虹梁
     中備蟇股 三方切目縁 一軒角垂木

 この庵は阿部港の東部、龍権山(りゅうごんざん)の中腹に南面して建っており、断崖下に太平洋を臨み眺望雄大である。建立年代は不明であるが、町史によると、現在の場所より伊座利寄りの山腹にあった。海岸より10m 位上がった山腹の岩間より清水が湧き出し、これを御水、あるいは御滝と称し、霊水として信仰していた。御水は、俗に弘法大師が湧き出さしめたものと言われている。昭和29年に現在地に移築され、町内の人達に守られて参詣者も多い。
 伊座利への山道から下ると御水所があり、その東方に奥長の境内に本堂、奥ノ院と配置されている。本堂は桁行2間×梁間2間の方形の一間(ひとま)で、後方北側に半間弱の須弥壇(しゅみだん)をしつらえている。床は畳敷きで須弥壇前の2畳分は護摩壇(ごまだん)となっており、畳と同面高の板の間となっている。護摩木を焚いて息災・増益・降伏・敬愛などを本尊に祈る為の調度品が数多く配置され、信仰心の厚さが窺われる。天井は平格天井であるが護摩壇上部のみ垂直に一段上がった格天井になっている。
 柱頭の木組は唐様(頭貫先に絵様貫鼻が付きその上に台輪が乗り貫け、大斗が乗る)であり、外観は彩色され三方に切目縁を持つ。本堂奥東側より半間幅の廊下を界し、桁行10間×梁間4間の木造切妻造りの奥ノ院へつながる。

(2)地蔵庵(地蔵坊 地蔵寺・調査一覧表……S) 所在地…由岐町田井字西谷15
 [本堂]木造入母屋造 本瓦葺
 [観音堂]木造方形造 縋破風(すがるはふう) 本瓦葺
     主屋−丸柱 切目長押 内法長押 台輪 中柱平三斗 隅柱出三斗
        頭貫彫刻木鼻(拳) 中備蟇股 二軒疎垂木(ふたのきまばらたるき)
     向拝−角柱 虹梁型頭貫木鼻・錫杖彫(龍) 出三斗 手挟(花型)
        中備彫刻 三方切目縁 木階(板階段) 鰐口

 田井ノ浜より北へ約1km の西谷の陰地にあり、町道より一段上がった場所に東面し、向かって左に庫裏を兼ねた本堂、右側に観音堂がある。町史によると、木岐・真福寺の歴代住職の隠居寺であったというが、現在は使用していない。本堂は小規模な入母屋造りであるが、内部は未調査のため間取り等は不明。観音堂は小規模な二間堂で縋波風の向拝がつき、三方に切目縁が廻り、枡組は中央柱が平三斗、隅柱が出三斗で組まれ、頭貫や中備蟇股は彫刻が彫られ、二軒の疎垂木は由岐の社寺建築においてはここだけに見られる。向拝は一般的な角柱に虹梁型頭貫木鼻がつき、虹梁の下面には錫杖彫りが彫られている。材料は地場の松、枡組等は欅が使われている。向拝柱の根元や板階段、腰のシックイ壁など傷みが進行しており、早急に修理が必要である。

(3)極楽寺(調査一覧表……A) 所在地−由岐町伊座利1226
                 山号−海見山  宗派−高野山真言宗
 [本堂]木造入母屋造本瓦葺
     主屋−角柱 切目長押 内法長押
     下屋−中央間虹梁型頭貫木鼻 大斗肘木 中備彫刻蟇股 一軒角垂木

(4)荘厳寺(調査一覧表……F) 所在地−由岐町志和岐浦
                 山号−光明山  宗派−高野山真言宗
 [本堂]木造寄棟造 本瓦葺
     主屋−角柱 内法長押 舟肘木 一軒角垂木

1)A+U 森兼設計室主宰 2)富田建築設計室主宰  3)Y. M. 設計室主宰
4)諒建築設計事務所主宰 5)ガル・SpaceDesign 主宰 6)龍野建築設計事務所主宰
7)那須建築工房主宰


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