阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第41号
那賀川下流域の河川漁労

民俗班(徳島民俗学会)

     湯浅良幸1)・東田塁美2)

1.はじめに
 今回の調査は、那賀川下流域における漁業、とりわけ漁具・漁労方法・漁業慣習について明らかにすることを目的とした。とくに今日の河川漁労は、昭和20年代と比較して大きく様変わりをしている。昭和30年代までアユ・ウナギ漁を主とする専業漁師が存在したが、現在ではそうした人はほとんど見かけない。たとえばアユの漁獲シーズンになるとほとんど毎日のように川漁をしている人もいるが、その多くは農業の片手間であったり、趣味的なものである。
 とくに那賀川下流域では、上流におけるダム築造による水量の減少、汚濁等による影響によって、川漁は大きな打撃を受けている。また食生活の変化も見逃せない。とりわけ流域住民の生活水準の相対的上昇による食習慣の変化により、川魚よりも海魚を摂取する機会が多くなった。かつては経済的理由により川魚、たとえばフナ、ナマズ、ハゲギギ(ギギと呼ぶ)、ウナギ、ヨシノボリ(ジンゾクと呼ぶ)、カニ(モクズガニ)、エビ類、マハゼ(ハゼと呼ぶ)等を主たるタンパク源・カルシウム源としたが、そのほとんどは自家調達のものだった。
 秋祭り(ハレの日)などに客用としてアユを購入することなどは、例外的なものだった。また、流域住民の多くは舟(カンドリ)、投網等を所持することは希であり、タモ網(タモ・タマとも。図6)、ヤス(カナツキと呼ぶ。図6)、釣り針等による漁法であった。雨降り後など川水が濁る(ササニゴリという)ため、アユを素手によって捕獲した。この漁法は膝くらいの水位の場合、水の中へ素足で入り、腰を曲げて両手の掌(てのひら)を平行に軽くそろえるようにして川底を押さえる。遡(そ)上中のアユが掌に触れた瞬間、取り押さえる。アユの肌のぬめりによって取り逃がすこともあるが、要領を会得すると面白いほど捕れたものである。
 那賀川町域を流れる那賀川は長さ約7km、川幅の一番広い中島港から辰巳町の間は約1km である。全域が感潮帯であるため、町域の上流部まで海魚が遡上しており、また青ノリの養殖もさかんである。

2.漁具と漁労方法
 主な河川漁業として、アユ、ウナギの捕獲および青ノリの養殖がある。シラスウナギ、シロウオ(ヒウオ・シラウオと呼ぶ)なども捕獲している。
 以下、魚種等別にいくつかの漁法・漁具について述べる。
アユ アユの捕獲時期は、県条例によって毎年6月1日から10月19日と決められている。漁協組合員および漁協の発行する入漁証を所持しない場合、密漁となる。これは漁協が漁業権を有し資源保護のため稚魚を放流しているからである。
 アユ漁は、網漁と釣り漁が主流である。網漁は建網、刺網、瀬張りがあり、施設漁法である。
 瀬張り漁は、資源保護の観点から県知事の許可制となっている。比較的浅い所で行い、川の上流部と下流部、川幅一杯に網を張り、カンドリのミサオ(棹)などで水面を激しくたたいてアユを驚かせ、網の方へ追いつめる。網の底部には筌(うえ)(モジと呼ぶ)が設置してあり、アユはモジの中へ入って捕獲される。あるいは網の目に頭を突っ込む。


 モジは、細く削った竹(竹ヒゴ)を筒状あるいは円錐状に編み、入口の内側に魚が入りやすくし、出にくいようにしてある。小さいのはアユ、ウナギ用、大型、中型はナマズ、フナなどの川魚用である。図2のものは長さ64cm、口径9cm、周囲33cm。胴体の2か所を竹の輪で締めてあり、別にシュロ縄で6か所巻いてある。
 建網(図3)・刺網は網の目が荒く、主としてボラ・フナなどを捕獲した。ボラ漁の場合、比較的深い所で使用されたが、最近では使う人は少ない。


 釣りは代表的な漁法のひとつである。ドブ釣り、しゃくり、ころがし、チョンがけ(突いても引いても魚がかかるように工夫されている)、アユの場合オトリを使った友釣りが多い。図4は友釣りによって釣ったアユとタモである。アユの下に見える空間はカンドリの生簀(いけす)で、生きたままのアユを入れておく。


ウナギ ウナギ捕りは、カンドリで操業し専業にする人がいる。ウナギモジ(図5)による延縄(なえなわ)漁法である。ウナギモジにエサ(魚の頭やアラが多い)を入れ、一晩川底へ沈めておき、翌朝引きあげる。


 モジあるいはツツ(筒)は、70cm ほどの長さに切ったモウソウダケツツ(現在はビニールパイプが多い)を3本ほど束ねたものを、かつては100組、200組沈めていたが、最近では漁獲量の減少とともに本数も減っている。1本のモジの中に複数のウナギが入ることもあるが、1匹も入らないこともある。現在では一般に養殖ウナギを食するようになった。
 ウナギの穴釣りはほとんど行われなくなった。
ウナギカケ ウナギカケは、図6のように長い柄の先に曲鉤(まがりなた)をつけた薙刀(なぎなた)のようなもので、水底をかきまわしてウナギをひっかける。主として沼、池で行う漁法だが、現在では行われていない。
シラスウナギ ウナギの稚魚である。その採捕は知事の免許を必要とし、12月15日から翌年4月30日までが漁期である。相当の副収入になるようである。水の中に電灯をつけて照らし、寄って来るところをタモですくいあげる。昔、ガスランプで捕っていたときには何十kgも捕れたことがあったそうである。年により漁獲量や値段の変動が激しい。


ナマズ 那賀川流域の人はナマズ・ギギをよく食べた。しかし、コイはあまり食べない。ナマズはみそ汁、かば焼、刺身にするほか、乾物として保存し、フナ・ジンゾクなどとともに調味料として使用した。
ヒウオ(シラウオ) 2〜3月、産卵のため川に上ってくる。簀立(すだ)てあるいは四手網ですくう。生のまま(オドリ)食べるとおいしいが、生きたままメバル釣りのエサにすることもある。最近、数が激減した。
カニ 冬季産卵のため海へ下るため、海から川へ向けてウエ・モジ(図7)を仕掛ける。秋口が旬(しゅん)であるが、最近ではカニが激減したためカニを捕る人は少なく、漁獲量も少ない。また目籠(かご)や一斗缶を細工して、川底に沈めておく。ウエ・モジ・メカゴに石を乗せて流れないようにして夕方川底へ沈め、翌朝引きあげる。エサはサナギ、サケカス、ミソ、カエル、魚のアラなどを入れ、そのままでは隙間から流出するので、粘土を混ぜて団子にしておく。図7のものは長さ112cm、口径43cm、周囲132cm。135本の竹ヒゴを使い、竹の輪を5本入れてある。中ご(口の部分)は高さ37cm、竹ヒゴ46本、シュロ縄で4か所止めてある。川底に魚の通る道をつくり、ウエの頭部を川下へ向けて設置し、遡上する魚の習性を利用して捕獲する。


ジュズ 大きなミミズを数十匹、糸に通して束ね、あるいは皮をむいたカエルをタコ糸でしばり、2mほどのタケの先端にくくりつけたもの。水が濁ったとき、カニのいそうな所で左右、上下にゆっくり動かす。カニはミミズ等の匂いに誘われて穴から出てジュズに取りつく。手ごたえを感じるとすばやく引き上げる。
シバツケ 柴(シバ)の束を一夜川底に沈めておく。カンドリからシバに付けたヒモをたぐりあげ、その際タモを束の下へあてがう。ウナギ、エビ、カニなどが入っているが、この漁法は那賀川ではあまりやられていなかった。
マエガキ 図8のように、ジョレンを大きくしたような形で、竹製で口縁部は鉄製として傷まないようにしてある。主として農家の人たちが使用した。用水路や沼の底で動きの少なくなった寒ブナをすくう道具である。とくに氷が張りつめている寒い日、フナの動作が鈍っているとき、大きなマエガキですくうと寒ブナ、オイカワ(ハエ・ハイ・ハヤと呼ぶ)、エビ、小魚などを一網打尽に捕ることが出来る。寒のフナ、ハエは美味といわれ、余ったものは串に刺して焼き、乾物として保存する。


 参考として禁止漁法をあげておく。電気(バッテリー)、石灰、ゲラン(毒カズラの根)、アセビ、ハイビン、石タタキ(ゲンノウタタキ)、貝ガラ流しは禁止あるいは使うことをタブーとされている。稚魚までも全滅させ、生態系を破壊するからである。

3. まとめ
 那賀川上流にダムが出来、あるいは工場廃水、家庭排水、農薬などが那賀川へ流入することにより汚染がひどくなり、魚の質も量も著しく減退してきた。たとえば昔は箱メガネ(図9)でしゃくりが出来たが、今では濁ってそれも出来なくなった。


 また、かつて生息していなかったブラックバス、タイワンドジョウなどがふえ、アユやハエの稚魚を食べてしまう。鵜(う)の集団がやってきてせっかく放流した稚魚を食べるのも漁師の悩みの種である。
 また漁具と材料・材質の変化が著しい。たとえば投網のイワ(重り)も陶器から、丸い鉛、鉛の鎖、シンチュウの鎖(図10)と変わっている。網の糸も、絹糸からカタン糸、ミシン糸と変ってきている。カタン糸のときは、毎年カキシブで染め糸の老化を防いでいた。カキシブはヤマガキを購入し、自家でつぶして汁をとってシブとする。 ダムや砂利採取によって川の姿が変ぼうしてしまった。漁獲高が激減したため、専業では生活出来ない。かつては多種だった漁具も種数が少なくなり、手づくりのものはほとんど姿を消してしまった。一方、食生活の変化によって、川魚も一部の魚を除き、日常食用に供されることはなくなった。


 なお、那賀川町歴史民俗資料館は比較的よく漁具の収集がなされているが、なおいっそう網羅的な収集と調査研究を望みたい。
 今回調査した漁具はすべて計測・撮影してあるが、紙数の都合で割愛した。
 なお、このたびの調査に当たっては那賀川町歴史民俗資料館および近藤勝美氏、三原一男氏、新居義弘氏、大和繁幸氏から格別のご協力をいただいたことを記してお礼を申しあげたい。


徳島県立図書館