阿波学会研究紀要


このページでは、阿波学会研究紀要論文をご覧いただけます。
 なお、電子化にともない、原文の表記の一部を変更しています。

郷土研究発表会紀要第45号
小学校設立とその後の経緯について

史学班(徳島史学会)  稲飯幸生

1.はじめに
 明治5年(1872)に学制が頒布され、従来の寺子屋を廃して小学校を造ることになった。
「一般の人民、必ず邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」(学問奨励の被仰出書)という理想を掲げて出発した画期的な教育改革であったが、村自体にとっても住民にとっても小学校建設は大問題であった。学校の位置を決定することは、学校設立の第一条件であるが、子どもの通学距離のほかに、人口の分布状況、学校設置予定地の地形などの条件を考慮しなければならなかった。
 穴吹町は穴吹川が町の中央を貫流しているので、橋の整備されていない渡し舟の時代には、大水の時は町が分断される格好になった。また、穴吹川の上流は傾斜の急な四国山地であるため、狭い地域のなかで農林業を共同作業によって行い、地域外の人との交流が少ない状況のなかでの生活が多かった。とくに女性、子どもにはこの傾向が強く、日常会話の「なまり」までも地域によって異なり、そのために分校の子どもが本校へ行きたがらない傾向があったほどである(「半平校の百年」)。
 このような状況のなかでの学校の設立は、解決しなければならない条件が多く、学校が設立された後も、児童数の増減、交通事情の変化や政治的配慮も加わって、合併・統合・休校が頻繁に行われ、できれば低学年用だけでも地域内に設立してほしいという人々の希望を配慮して、数多くの分校・分教場が設立された。

2.小学校の創立
 それでは小学校創立はどのように行われたのであろうか。明治5年の「阿波国区分」(石井町・中野万吉氏蔵)によると、穴吹町は次のような村になっていた。これらの村々には寺院や民家を借用してではあるが、一応、小学校と名のつくものが創立された。
 (阿波国第六大区第二小区)
  三谷村  三谷小学校  (明治12年・1879)
  舞中島村 舞中島小学校 (明治12年)
  小島村  小島小学校  (明治12年)
 この3校については設立の記録がないが、民家・寺(観音寺)などを借用したものと思われる。
 (阿波国第六大区第六小区)
   拝村    市場小学校 (明治7年・1874)(民家を借用)
   穴吹村   進徳小学校 (明治7年・1874)(享保寺の庫裏を借用)
   東口山村  首野小学校 (明治9年・1876)(浄土寺付近に設立)
   西口山村  淵名小学校 (明治7年・1874)(民家の土蔵を借用)
    〃    知野小学校 (明治13年・1880)(徳成寺付近の民家を借用)
   半平山村  半平小学校 (明治12年・1879)(八幡神社の東側に設立)
 明治22年(1889)の市町村制実施により村の合併が行われて、新しい村が誕生したが、その間にも小学校の合併が頻繁に行われた。各村の小学校設立の経緯は次のようなものである。
 三島村(舞中島村・三谷村・小島村が合併)
     舞中島・三谷・小島の3小学校は、ともに明治12年に創立されたが、翌年には舞中島・三谷の2校が合併して舞中島小学校となり、さらに明治34年(1901)3月、小島小学校も併せて三島小学校となった。
 穴吹村(町)(穴吹村・拝村が合併、大正13年〔1924〕に町制施行)
     市場小は明治9年(1876)に春星小学校と改名したが、同年11月、進徳小学校に合併した。しかし、春星小学校は私塾として存在した。
     明治13年(1880)には、民家の土蔵を借用して校舎とし、穴吹小学校と改称した。明治14年(1881)には通学の便をはかるため、拝村に分教場を設けたが1年あまりで廃止した。
     明治16年(1883)には拝村の住民が、再び通学の不便を唱えて市場に校舎を設けた。拝村は穴吹村とは川を隔てた対岸で、大水の時は通学が不便であった。明治18年10月(1885)穴吹小学校は全焼し、民家を借用して授業を行った。
 口山村(東口山村・西口山村が合併)
     この村は、藩制時代には蜂須賀家の家老である稲田家とその分家の領地に分かれており、それがそのまま西口山村(分家)と東口山村(本家)になったので、飛び地などもあり、地域が入り組んでいる。学校の位置決定に際しても問題が多かったようである。
     首野・知野両校は、穴吹川を挟んだ両岸にあるが、明治15年(1882)に合併して首野小学校と称し、明治19年(1886)には首野小学校を廃して宮内簡易小学校を設立した。宮内(東口山)は首野・知野の中間点である。
     初草小学校(東口村)は、明治23年(1890)、通学区域の事情により仕出原(西口山村)に校舎を建設し、仕出原簡易小学校と称した。仕出原は初草の対岸の地域であり、渡し舟で往来していた。
     大正11年(1922)、再び初草に校舎を建設し、初草小学校と称した。尾山小学校(西口山)は明治27年(1894)に民家を借用して開校した。この地域は村の中央より遠く離れ、生活環境としては穴吹村の範囲に近いため、明治25年(1892)穴吹村に管理を委託したが、明治27年(1894)に委託を解除した。昭和33年(1958)に廃校となり、児童は穴吹小学校へ通学することになった。
 古宮村(半平山村、昭和2年〔1927〕に村名改称)
     半平小学校の創設地の八幡神社東側はこの村の中心部で、村役場もここにあり、学校と役場は一棟であった。しかし、村の東側に偏在していたため通学に不便であり、明治39年(1906)に現在地に移転した。この学校は通学範囲が広く、分校・分教場が多く設置されている(分校の項参照)。
     長尾小学校は、半平小学校創立とともに田野内・内田・平谷に分校が置かれ、このうち内田・平谷が合併して、明治19年(1886)に長尾小学校となったものである。田野内分校は明治19年に地域の人々の希望により田野内小学校となったが、明治25年(1892)に長尾小学校に合併した。

3.分校の設立
 各村に一応の小学校はできたが、通学のことなどで地域の住民にとっては納得できないことも多く、その要望にこたえるため分校・分教場が各地に造られた。最初は寺院・神社・有力者宅などが利用されたほか、従来からの寺子屋を利用したものもあったと思われる。
 また、学校ができてもそこへ通学せず、寺子屋へ手習いにゆく者もあり、学校・寺子屋の並立した時代もあった。
 穴吹町内の分校・分教場は次のようなものである。
  半平小学校の分校
    同校の百年史によると、創立とともに田野内・内田・平谷に分教場を置いたとあるが、沿革史には生子屋敷・四合地・杖立・川瀬にも分教場を置いたとある。これをみると学校創立とともに各地区に分教場を置いたが、いずれも村が非公式に置いたものであろう。これらの分校・分教場は明治27年(1894)までに一度廃止されたが、杖立だけには翌28年(1895)に出張所がおかれ、大正元年(1912)に県の認可を受け、昭和44年(1969)3月に廃校になるまで続いた。児童数の最高は24名(昭和10年・1935)である。海抜約800m あり、半平小学校より急坂を徒歩で約105分登る距離にある。
  長尾小学校の分校
    落合分校は明治41年(1908)分教場として創設され、昭和54年(1979)3月まで継続し、4年生までの児童を収容した。途中、明治45年(1912)に分教場取り消しになったが、住民の希望を入れて同年9月に県の正式許可を受けて再開した。昭和51年(1976)には台風17号により、校舎・施設その他すべて流失し、民家の2階を借りて授業をした。本校より徒歩約60分を要する。
    内田分校は明治12年(1879)、半平小学校設立の際に田野内・平谷とともに分教場が置かれたが、明治19年(1886)に平谷とともに合併して長尾小学校となり、分教場はなくなった。
    昭和23年(1948)に内田分校が再び設置された。これはカラフト(現サハリン)よりの引揚者が開拓団として9戸入植したためで、児童数は男女合計24名であった。4年生までの児童を収容し、昭和54年(1979)まで継続した。本校より徒歩で約70分を要する。
  宮内小学校の分校
    鍵掛地域に小学校出張所を明治24年(1891)に置いたが、翌年になって廃止した。
    樫山分校は、明治35年(1902)に地域の民家を交互に借用して教育した。昭和21年(1946)に火災により全焼し、再び民家を借用した。昭和34年(1959)に5、6年生は本校に通学したが、昭和38年(1963)に校区の住民が皆無となり、休校した。本校よりの所要時間は約60分である。
  穴吹小学校の分校
    空野分校は昭和26年(1951)3月に開校した。このときの児童数は17名であった。昭和22年(1947)にこの地域に外地引揚者の開拓団11戸が入植し、さらに翌年23年には10名の入植があり、その子弟教育のために分校が設置されたのである。開校の年の9月に火災により全焼し、臨時に民家を借用した。海抜613.5m の地点にある。その後、児童数の減少により昭和49年(1974)3月休校した。本校よりの所要時間は徒歩約60分である。

4.むすび
 最後に学校設立の基盤となる各地域の人口増減の状況をみると、表1のようになっている。複雑な学校の設置・合併・統合・廃校・休校が行われた(図1)のも、この人口の増減の推移を考えると十分にうなずけるし、村当局、住民の人々の努力、苦労が察せられる。

参考資料
穴吹町誌(昭和62年刊)
各校沿革史(穴吹小・初草小・淵名小・宮内小・長尾小・半平小・三島小)
半平校の百年史(昭和55年刊)
初草校百年史(昭和56年刊)
長尾小学校百年の歩み(昭和62年刊)
穴吹校百年史(昭和62年刊)
宮内小学校百年史(昭和61年刊)
徳島県教育沿革史・続編(昭和34年刊・徳島県教育会)
地方行政区画便覧(下)(昭和60年復刻・内務省地理局)


徳島県立図書館